THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『透明人間』

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 ポール・バーホーベン監督でケビン・ベーコン主演の『インビジブル』は、子供のころに金曜ロードショーかなにかでテレビ上映していたのをたまたま親と一緒に観たのだが、あまりにエログロが多くて非常に気まずくなったという嫌な思い出しかない。

 大人気漫画の『ONE PIECE』でも透明になれる「スケスケの実」の能力者は性犯罪者的なキャラクターであり実際にシャワー中の登場人物を襲っていたし、主人公チームの一員であるサンジですらスケベ目的で「自分もスケスケの実を食べて透明人間になることが夢だったのに…」という始末である。『インビジブル』では透明人間は悪役ではあるが、エロを強調した作風自体に、透明になって女性を視姦したり襲ったりすることを望む男性の性犯罪的な願望を半ば肯定してしまうような側面があったことは否めないだろう。

 

 しかし、今回の『透明人間』は、「見る側」ではある透明人間(男性)ではなく「見られる側」である女性の立場から描くことを徹底した作品だ。題材としては、性犯罪というよりもドメスティック・バイオレンスの方が強調されているが。

 作中の後半まで透明人間がほとんどセリフを発しないことや透明人間の存在が主人公以外の他人に伝わないことから、一方的に主人公が追い詰められるというサスペンス描写がなかなか上手く描かれている。「怪異の存在を主人公だけが理解していて、周りの人にそれを伝えても信じてもらえず、狂人扱いされる」という展開はどんな作品においてももどかしくなってストレスを感じさせられるものではあるのだが、ホラーやサスペンスの演出としてぴったりな展開でもあって、痛し痒しではある。とはいえ、この映画の場合は、主人公が陥る「透明人間の存在を信じてもらえない」という状況が現実のDV被害者が陥る「DV被害の存在を信じてもらえない」という状況と重ね合わせられる、という批評的な意味合いも大きいのだろう。

 主人公を演じるエリザベス・モスはどちらかといえば個性派的な顔立ちというか、すくなくとも美人とはいえない顔をしている。そして、この映画のなかでは多くの場面でメイクもしてなかったはずだ。なによりも、シャワーシーンを二度ほど挿入しながらも、どちらのシャワーシーンも全くエロティックにならないようなかたちで撮られている。この配役や主人公の写し方は意図的なものであり、過去の「透明人間」系作品と能天気にそれを楽しんでいた制作者や観客陣に対して冷や水を浴びせかける、という批評的な意味合いが強いはずだ。要するに、透明人間ものだからといってスケベ心を刺激されて「シャワー中の美人が襲われる」的なエロシーンを期待して、そのシーンで被害の対象となる女性の人格なり尊厳なりについてはまったく気にしない、というこれまでの「お約束」に従った鑑賞の仕方そのものが批判の対象となっているのだ。これこそが、「見る側」から「見られる側」に主題を転じることの意味である*1

 ……ただし、ホラー描写やサスペンス描写は中盤で主人公の妹(ハリエット・ダイアー )が殺されてしまうシーンがピークとなっていて、それ以降はやや失速する。DV夫(オリヴァー・ジャクソン=コーエン )の兄(マイケル・ドーマン)の口からDV夫が主人公を君を殺害する気はないことが明かされてしまうし、また、透明人間の存在が精神病院の職員たちに明かされてしまうシーンでは恐怖感や脅威感がなくなってしまう。無数のカメラ付きであるとはいえ遠目から見たら全身黒タイツな姿は間抜けだし、スーツを着ているだけのはずなのに簡単に銃を奪えて多数の職員たちを撃退できてしまう超パワーを備えているところもちょっと興ざめだ。終盤に主人公の友人の黒人警官(オルディス・ホッジ )をボコボコにするシーンも、あんなムキムキで超強そうな警官を透明になったくらいであそこまで一方的に痛め付けることはできないだろ、という違和感が強かった。

 また、所詮は透明"人間"であり、死んで幽霊にすらなっていない生身の人間であるわけだから、その存在の俗っぽさがどんどん目立つようになってきてホラー感は尻下がりに減っていく。序盤におけるネチネチした嫌がらせも最初は生々しさを感じたが、その行為の小物っぽさがひどくてだんだん笑えてきてしまった。けっきょく、スケベシーンがなくても透明人間ってどこかしら間抜けな存在なのだなと思わされしまう。

 透明人間をやっつけた、と思った後に主人公がDV夫と会食するシーン、そしてその後の展開は賛否が分かれるところだと思う。DVを題材にしたフィクションだからこそ描くべき展開であるだという意見も理解できる一方で、最後に主人公が「ドヤ顔」しているところとかにちょっと安直なものを感じたこともたしかだ。監督のリー・ワネルは『SAW』シリーズの脚本ではあんだけ悪役側の勝ち逃げを許してきたくせに、フェミニズムの入った社会的なテーマの作品を監督するとなると日和った勧善懲悪なオチにするのかよ、と思わないでもないし…。

*1:とはいえ、わたしは映画だろうがエロ漫画だろうが透明人間ものとか盗撮ものだとか覗きシーンだとかに食指が動いたことはほぼないので、わたしとしてはノーダメージだ。そういうジャンルが好きな男性は反省するがよろしい。