『ブライトバーン/恐怖の拡散者』:グロいが怖くはなくてつまらない
2020年になってから良作や話題作が次々と封切りされていて喜ばしいことだ。コロナウィルスの影響のせいで3月や4月公開予定の作品がどんどん延期になっており、これからしばらくは寂しい状況が続きそうだが…。
2019年はひどかった。前半にこそ『アベンジャーズ/エンドゲーム』という大作はあったし夏に公開された『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も素晴らしかったが、秋以降になると見にいきたくなる作品がとんと無い状況が続いた。話題作であった『ジョーカー』は大して面白くなかったし『アド・アストラ』はなんだこれって感じだったしで、外れ作品を連続して視聴したことで映画を見にいく意欲がどんどん下がっていったことを覚えている。
ある休日に映画館に行こうとしたときには、選択肢が『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』か『ブライトバーン/恐怖の拡散者』しかない状況だった。悩んだ末に前者を見にいったが、上映時間だけは長いくせに話の展開に全く工夫がなくてグロ表現や怪奇現象ばかりが場当たり的に連続する単調な一本道のつまらない映画だった。そして、見逃した『ブライトバーン/恐怖の拡散者』は先日に配信サイトで見たが、こちらもまたつまらなかった。けっきょくどっちを見ていてもつまらなかったのである。
『ブライトバーン/恐怖の拡散者』は『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』のジェームズ・ガン製作という触れ込みで期待していたが、よく見たら監督も脚本も別の人がやっている。それに、そもそもジェームズ・ガンだって『スーパー!』はかなりひどい出来だったことを思い出した。
『ブライトバーン/恐怖の拡散者』の何がダメかというと、とにかくいろんな点で「中途半端」なことに尽きるだろう。「スーパーマンと同じオリジンと能力を持った子供が正義の道ではなく悪の道に進んだらどうなるか…」というIF的な発想が話の根幹となっているのが、たとえば『ザ・ボーイズ』のようなアメコミをメタ化作品としての面白さは全くない*1。舞台が田舎町に終始限定されており、犠牲者も主人公の身内ばっかりだ。政府機関やマスメディアなどが主人公の存在に気付くこともないために、「もし現代社会に超常的な存在があらわれたら…」というSF的な話の展開はまったく起こらない。
表現はグロいが(途中で犠牲者の顎が外れるシーンはショッキングかつ滑稽な面白さがある)、怖くはない。スーパーマン的にビュンビュン飛び回ったり怪力を発揮したり目からビームを出したりなので、絵面がシリアスなものにも生々しいものにもならないからだ。主人公の動機や人格も子供らしい人間性と亜人としての非人間さがダメな方向に混ざっていて、「歯止めの効かない衝動のままに動く子供」としての怖さもなければ「淡々と自分の欲望を実現するサイコパス的な亜人」としての怖さもない。
主人公とそれを赤ん坊の頃に拾った両親との関係がこの映画のポイントで、「絶対的に子供を守らなければならないはずの立場である親が子供を裏切る」ということが主人公の最後の歯止めをなくすことになるのだが、それにしても前提となる主人公と両親との親子関係や信頼関係が大して描かれてない(描かれているとしても大して優れた描写ではない)ので、特に感情が動かされるところがないのだ。
(子役に対してこういうことを言うのもひどいが)主人公が元から爬虫類的な顔立ちをしており、悪に覚醒する前の「普通の子供」時代の描写もあまりない(あったとしても印象に残らない)ことから、「純真な子供が悪に転換する」という負の方向のカタルシスもないこともダメである。
とにかく狙いがわからないというか、この設定ならSF的な話にするか親子関係について『ヘレディタリー/継承』並にねちっこくシリアスに描くかのどちらかに振り切らないと大した作品にならないところを、どっちにも振り切らなくて中途半端になってしまっているのである。とはいえホラー映画らしく後味の悪く不愉快な気持ちになる部分はちゃんとあるから、爽快感の求められるポップコーン・ムービーにも適していない。わたしはこういう考えのたりない作品には怠惰さと知性の放棄を見せ付けられるような気がして、いちばん嫌いだ。エンドクレジットの途中にはアメコミ映画にありがちな「他の作品とのリンク」を匂わす(というか、直球で示す)映像が挿入されており、監督は「売れ行きがよければシェアード・ワールドにすることを検討している」などと言っているようだが、そんなもん誰も期待してないだろう。
*1:『ザ・ボーイズ』だってそこまで面白いドラマでもないのだけれど。