THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

ひとこと感想:『チャイルド・プレイ』&『ビューティフル・デイ』

●『チャイルド・プレイ

 

 

チャイルド・プレイ(字幕版)

チャイルド・プレイ(字幕版)

  • 発売日: 2019/11/20
  • メディア: Prime Video
 

  

 メインシリーズの方は高校生の頃にB級映画好きの友人に『チャイルド・プレイ/チャッキーの花嫁』を観させられた思い出があるが、下品でグロいだけの映画だったという思い出しかない。

 

 しかし、こちらは、「殺人鬼の魂が人形に乗り移った」という設定から「セーフティー機能が解除されたハイテクAI人形が暴走する」という設定に変わったおかげで、ちょっとSF風味になっていてプロット面の面白さがそれなりにもたらされている。

 暴走したチャッキーが殺人を犯してしまったという秘密を主人公のアンディ(ガブリエル・ベイトマン)だけでなく同年代の友人も共有する、という点は作品の重苦しさを減らすいい効果を与えているだろう。後半では子供たちではなくアンディの母親(オーブリー・プラザ)やマック・ノリス刑事(ブライアン・タイリー・ヘンリー)がチャッキーに立ち向かったすえでアンディとチャッキーの一騎打ち、という流れもちょうどいい。母親のボーイフレンド(ティム・マシスン)の死体を使った不謹慎ギャグも悪趣味だけど面白いし、俗物な連中ばかりでなく罪のない刑事の母親が殺されるところもチャッキーの悪質さを描けていてバランス感覚が伝わってくる。

 また、序盤におけるアンディとチャッキーの交流の描写、チャッキーが自己中心的でウザいながらもアンディとの友情を楽しんでいるところも、そのあとに訪れる悲劇や惨劇の存在がわかっているからこその儚さや悲しさがある。しかし、このパートがあっさりと終わってしまうことや、チャッキーの造形があまりに可愛くなさ過ぎることも災いして、アンディがチャッキーに対して抱く友情とか名残惜しさに観客が共感することは難しくなっていると言える。ここは後の展開の悲劇や恐怖を強調させるための「タメ」の描写なのだから、ホラーやグロ描写よりもむしろアンディとチャッキーの交流の描写の方に力を入れていれば、名作に類する映画になったかもしれない。しかし、元々のシリーズと同じく、あくまでポップで何も考えずに観れる「軽い」映画を志向しているということなのだろう。

 

●『ビューティフル・デイ

 

 

ビューティフル・デイ(字幕版)

ビューティフル・デイ(字幕版)

  • 発売日: 2018/12/04
  • メディア: Prime Video
 

 

 退役軍人で元FBI捜査官でもありいまは「裏の仕事人」的な存在であるジョー(ホアキン・フェニックス)が、上院議員の家出娘であるニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を売春宿から救出する、というミッションを託される。そのミッションに成功したかと思ったら、ニーナを買っていた州知事が警察を送り込んでニーナを取り返してしまう。依頼者である上院議員や仲介者に殺されてしまい、ジョーの母親すらも殺されてしまった。ジョーは再びニーナを奪還するべく上院議員の屋敷に侵入するが……。

 

 最初にストーリーだけを読んだときには裏世界の男と少女の交流という『レオン』的なお話であるかと思ったが、いざ観始めるとじょーになんらかの障害があることが早々に描かれて『ザ・コンサルタント』的な話かなと思った。しかし、ジョーの障害は想像以上であり、物語は途中から彼の記憶のフラッシュバックや妄想が多々描かれるよくわからない領域へと入り込んでいく。むしろ『タクシードライバー』や同じホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』に近い作品であったようだ。

 主人公の自殺願望がキモとなっているようだが、フラッシュバックや自殺未遂のシーンが多くて、どこまでが現実でどこからが妄想なのかが途中からわからなくなって戸惑った。州知事が公権力を使って売春少女を取り戻して、議員や裏世界の仲介者までがあっけなく殺されてしまうという展開も突飛過ぎて混乱する。主人公の基本武器がチャチなハンマーであり、それでどんな敵も音もなくやっつけてしまうスタイリッシュでクールな殺害方法も非現実的だ。……そのために「ぜんぶ妄想でした」系な作品かと訝しんだが、どうやらそうでもないらしい。

 いずれにせよ独特な雰囲気があるし、映像も作り込まれていて惹かれるものがあるし、ホアキン・フェニックスのみならずエカテリーナ・サムソノフもかなり存在感のある俳優であったりして、見所は多々ある作品なのだろう。しかし、突飛なストーリーや分かりづらい演出のために、作品への興味や没頭を阻害されてしまってわたしは楽しめなかった。いかにもなんらかの深いテーマが描かれていそうな作品でもあるが、それについて頭をひねって考察できるほど集中して観れるような作品ではなかったのだ。