THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ジャッジ 裁かれる判事』

 

ジャッジ 裁かれる判事(字幕版)

ジャッジ 裁かれる判事(字幕版)

  • 発売日: 2015/05/27
  • メディア: Prime Video
 

 

 タイトル通りに法廷が舞台となり、田舎町の判事をやっている父親(ロバート・デュヴァル)が交通事故で人を死なせたところを弁護士の主人公(ロバート・ダウニー・Jr.)が弁護するという話ではあるが、いわゆる「法廷もの」ではない。「法廷もの」であれば被告が実は犯人ではなかったり事故だと思われていた事件が故意の殺人であったりなどのミステリー的な「意外さ」があるものだが、この作品には「意外さ」というものは全く存在しないし、製作陣もそれを狙っていない。途中で主人公側が自分たちにとって有利な陪審員を選出するシーンや、相手側の弁護士との丁々発止のやり取りには「法廷もの」につきものな面白さを感じられるが、作品的にはそこら辺のシーンはあくまで添え物であってメインではないのだ。

 では何がメインかというと、優秀で利発だがひねくれてグレていて不真面目な主人公と、頑固で昔かたぎな父親との親子関係がメインである。久しぶりに再会したと思ったら未だに対立していて、途中でちょっと和解したかと思ったらなにかのきっかけで以前よりもさらに仲が険悪して、しかし最後にはなんだかんだで仲直りしてそのうちに年老いた父親が死ぬ、というほんとにありがちな父と息子のドラマが描かれる。ついでに主人公と娘とのドラマとか主人公の兄弟間のドラマもほんのちょっとだけ描かれる。つまり「ヒューマンドラマ」な映画なのだが、特に共感するところも感動するところもなかった。

 なにしろ人間関係がテンプレ的過ぎるし、そもそも「不真面目なのに優秀で金持ち」という主人公の造形がムカつく。どこの国でもそうというところはあるが、特にアメリカ映画では視聴者の感情移入や親近感が重要となるはずのヒューマンドラマで、観客の大多数と縁がなくて共感ができないような優秀で有能で恵まれた人間たちを描くことが多過ぎる。あまり貧乏で無能な人物ばかりを描いても大した出来事を起こせなくてドラマの幅が狭まったりするという問題はあるし、たとえば最近に私が見たなかでは『セルフィッシュ・サマー』も『リターン・トゥー・マイ・ラヴ』も『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』もあまりに話の内容が地味すぎて面白みを感じれなかったことは確かなのだが、それにしても、という感じである。

 あと、こういうリアル寄りの作品になればなるほどアメリカ人たちの性道徳のなさにうんざりする。主人公はロバート・ダウニー・Jr.だからもちろんヤリチンだし、主人公が若かりし頃にヤった田舎女は主人公が田舎を去った後に主人公の兄ともヤって子供を作ったというエピソードが出てくる。このエピソードが本筋に絡めばいいのだがそういう訳でもなくただどうでもいい端っこの話として出てくるので、余計にうんざりした。

 

 辛口な評価を書いてしまったが、主人公役も父親役も名俳優なだけあって演技は素晴らしい。豊かな自然を映した画面もいいし、人間の心理の機微を表現する細かな演出も良い。惜しむらくは2時間20分という長過ぎる上映時間であって、同じ内容を1時間30分程度にスッキリ収めてくれていれば名作になり得たと思う。ほとんど意味をなしていない脇役のエピソードが大量に出てくるために「この大量の脇役のなかに真犯人が隠れているのかな」とついつい思わされてしまうが、結局そんなことない、というのもよくなかった。