THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『パディントン』+『パディントン2』

 

 

 

映画好きのあいだでは非常に評判がいいシリーズであり(とくに「2」の評価が高いようだ)、わたしも以前から気になっていたのだが、なぜか「1」だけNeflixからもPrimeVideoからも消えていたので、わざわざHULUに加入して視聴した(まあ『刑事コロンボ』が観れるのもHULUに加入した理由のひとつだけれど)。

そしてようやく観たのだが……期待が大きかったぶん、かなりの期待外れであった。

 

このシリーズが好きになれるかどうかは子熊のパディントンのキャラそのものが好きになれるかどうかにかかっているのだろうけれど、わたしはどうしても好きになれない。渋いベン・ウィショーの声でお上品なイギリス英語を喋るわりに、中身は子どもなので後先考えずドタバタ動いで大ポカして人の家のものを破壊したり汚したりして人に迷惑をかけるのだけど、このくだりがわたしにはかなりキツかった(子ども向け作品では定番のシーンだと言えるけれど、わたしは子どものころからこの手のシーンに共感性羞恥を抱いて常にキツく感じ続けてきた)。可愛らしいシーンも多いのだけれど、ややリアルな「熊」に寄せ過ぎていてグロテスクに思えるところもある。

パディントンを受け入れる5人家族は、父母はともかく姉弟とおばあさんのキャラクターがとってつけたようなもので薄く、そしてキャラが薄いのに無理やりに活躍させられるので白けてしまう。映画の前半や冒頭で示された家族各人の得意技が後半でパディントンを救うきっかけとなる……というくだりは「1」でも「2」でも繰り返されるが、伏線回収というにはお粗末で子ども騙しに過ぎない(子ども向け映画なのだけれど)。父親を演じるヒュー・ボイルと母親を演じるサリー・ホーキンスはどちらも魅力的だと思うけれど。

 

ほぼすべての住民が子熊のパディントンがしゃべることを受け入れている世界観は「ドラえもん」的でアリかもしれないが、「1」のヴィランであるニコール・キッドマンパディントンを父親の仇兼希少動物扱いして狙うくだりとは不整合だし、世界観の緩さに関して「こういうファンタジックな作品だからいいでしょ?」と制作陣による観客に対する「甘え」も垣間見えてしまう。

また、特に「1」に関しては、ファンタジックで甘ったるい世界観でありながら勧善懲悪が徹底しており悪役はひどい目に遭う、というのも居心地が悪い。「2」に関しては、刑務所に投獄されたヴィランヒュー・グラントがノリノリで刑務所生活を満喫する姿がエンドロールで流されるという『ONEPIECE』の扉絵連載的な救済が描かれるからまだマシになっているが、それにしても、部下を従えているわけでもない孤独な悪役が「家族」にやっつけられる姿が露骨に描かれるのはイヤなものだ(こういうのもわたしは子どものころからイヤだった)。

なお、「2」に関しては、パディントンが街の人々と仲良くなっている様子や窓ふきによって街の人々を幸せにする様子、刑務所の囚人たちに認められて彼らと仲良くなりクライマックスで囚人たちがパディントンを助けに来てくれる流れなどが「映画好き」のツボを押さえていることを認めざるを得ず、それが高評価につながっていることも理解できる。……とはいえ、なーんか戯画的というか作り物感がすごいというか、「こういうのでいいんでしょこういうので」と制作陣にナメられている気がして、わたしはちょっとムカついた。ウェス・アンダーソンって大嫌いな作品なんだけど、『パディントン』ってウェス・アンダーソン風味がけっこう漂っていると思う。

 

「1」に関して動物倫理的なテーマが触れられそうになって「おっ」と思ったけれどけっきょく表層的なものに留まってガッカリ(動物愛護発祥の地であるイギリスの作品だというのに、アメリカのクマ映画である『TED2』に動物倫理描写で負けるのはどうかと思う)。それよりもむしろ、パディントンが「移民」であることが裏テーマとなっているようだ。たしかにその点にはわたしは気付くことができず、「移民あるある」や移民をめぐるなんらかの葛藤なりテーマなりが描かれていたのに見逃してしまった恐れは否定できない。……とはいえ、たぶんもう見返すことはないだろう。