THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『タリーと私の秘密の時間』

 

タリーと私の秘密の時間(字幕版)

タリーと私の秘密の時間(字幕版)

  • 発売日: 2019/04/03
  • メディア: Prime Video
 

 

 主人公であるマーロ(シャーリーズ・セロン)は、すでに子どもが二人いる状態(小学生の女児と男児が一人ずつ)で、さらにもう一人の子供を妊娠して出産する。もとからいる子供のうち男児発達障害であるし、赤ちゃんの世話はもちろん大変だ。亭主であるドリュー(ロン・リビングストン)は悪い人間ではないかもしれないが育児への協力が充分とはいえず、出張で家にいないことも多いし、夜中には赤ちゃんの世話をマーロに一任して自分はゲームに明け暮れたあとにグースカ寝てしまう。そうこうするうちにマーロの疲弊とストレスは頂点に達しそうになるが、裕福な兄がマーロのことを見かねて、夜間だけ赤ちゃんの世話をするベビーシッターの業者をマーロに紹介する。そしてやってきたベビーシッターのタリー(マッケンジー・デイヴィス)はかなり若くて美人で自由奔放で快活なのだが、赤ちゃんを世話したりその他の家事をする能力が完璧に近いくらいに高い。そして、20歳近く年の離れたマーロに対しても的確なケアをほどこし、マーロにとってタリーは掛け替えのない精神的支柱になっていく。だが、(タイトル通り)タリーにはある「秘密」が存在していたのだ…。

 

 オチは事前に知ってしまっていたが、まあ事前に知らなくても見ているうちに想像が付いていたと思う。

 タリーが登場するまでは「子育てのつらさ」がこれでもかというほど強調されるが、子育ての経験がないわたしですら観ていてキツくなる。妊娠中や出産後のマーロの姿も疲弊と体型の崩れによる見苦しさが強調されているし、たびたび出てくる「母乳」関係のシーンも生々しさや生理的な不快さがある感じだ。子育てを主題にした映画は過去にもいろいろと制作されているが、ここまで「つらさ」を強調した場面を描いている作品はそうそうないだろう。

 …そのぶん、ファンタジー的な存在であるタリーが登場してからの状況の好転が鮮やかに描かれるかたちとなる。若くて美人なタリーの登場に合わせて、マーロも徐々に生気を取り戻していって表情が明るくなっていく。「シスターフッド」が嫌味なく描かれている感じだ。前半におけるリアリティと後半におけるファンタジーとのギャップはかなり上手に演出されており、この作品の完成度の高さの大部分はここに由来している。

 マーロに対して理解を示したり無理解な言動をしたりしてまう周辺人物の描き方もそれっぽくてリアルな感じだ。特に、一見すると優しい風でありながら子育てへの協力が充分でなく節々にマーロの状況への無理解さが漂う夫のキャラクター造形には、実際にこんなダメ夫は大量にいるんだろうなと思わさせられる。もうちょっとフェミニズム寄りな映画であればこの夫にはもっと厳しい「罰」なり「断罪」が下されていたところであるだろうが、それは回避されている。

 一方で、タリーとマーロの会話シーンは、妊娠や子育てという疲弊のなかでマーロが忘れそうになってしまう諸々の大切さとか価値とかをタリーが思い出させてあげるという会話が主である。いかにも映画的な会話でありリアリティはないのだが、タリーの台詞にはなかなか含蓄が感じられてよい。そして、繰り返しになるが、周辺人物のリアルさを強調するからこそタリーのファンタジー的な完璧性が活きるのだ。

 体当たりな演技をするシャーリーズ・セロンも、役柄通りのキラキラ感が漂うマッケンジー・デイヴィスも、二人とも魅力的で印象的である。生理的に目をそむけたくなるシーンも多いが、最後まで観た後にはポジティブなメッセージが強調されて後味も良く、佳作でありながらもなかなか優れた映画であるだろう。子育て経験があったり子育ての渦中である人なら特にグッとくる映画であるかもしれない。