THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

HBOドラマ版『ウォッチメン』

 

 

 

 そもそもわたしは「続きものドラマ」全般が苦手なのであるが、それについは後日の記事でたっぷりと文句を書く予定だ。

 

 わたしは『ウォッチメン』はアラン・ムーアによる原作漫画もザック・スナイダーによる映画版もどちらも好きである。最初に触れたのは映画版の方であるが、劇場で見た当時にはいたく感動した思い出がある。若い頃に好奇心と向学心から当時に邦訳されていたアメコミ漫画をいくつか読んでいた時期があって、その大半は絵は綺麗でも話は大げさでつまらないものであったところ、『ウォッチメン』だけは良質な小説を読んだときのような充実感や満足感が得られたものである(なにしろ「グラフィック・ノベル」と銘打たれているだけあって、文字が多いのだ)。お気に入りのキャラクターは何と言ってもロールシャッハだ。特に映画版の彼は格好良かった。敵役的なポジションであるオジマンディアスも傲慢で非人道的でありながらもなかなか実行力と貫禄があって印象深いキャラクターである。

 

 しかし、このドラマ版『ウォッチメン』は原作の後日譚ということもあり、ロールシャッハというヒーローは出てこない(その代わりに、白人至上主義者の集団がロールシャッハの仮面を被っている)。年老いたオジマンディアスもかなりの醜態を晒している。というか原作に出てきた登場人物たちが本格的に物語に絡んでくるのは中盤以降からであり、特に序盤ではドラマ版からの新キャラクターを中心として「人種対立」をテーマとしたオリジナルな物語が描かれることになる。原作版『ウォッチメン』の要素は最初は小出しにしか出てこないが、中盤以降に徐々にオリジナルキャラクターと原作版キャラクターが接触していって、物語は『ウォッチメン』らしくなっていく…というところがミソであるだろうか。

 

 しかし、つまらない。9時間もかけて描くような内容ではない。

 まず、これは「続きものドラマ」全般に見られる問題ではあるが、序盤における思わせぶりな伏線のまき散らしや設定開示の出し惜しみが鬱陶しい。「まあ自分は『ウォッチメン』のファンだし…」とか「なんかTwitterでも評判が良いみたいだし…」と視聴を続ける動機がいくつかあったしドラマにしては短い9話で終わる作品であることを知っていたから我慢して続きを見たものの、そうでなければ1話の時点でつまらなさ過ぎて切っていた。

 そして、我慢して最後まで見たところで大したことはなかった。ちょっとした驚きや原作との意外な接続などはあったが「だからどうした?」という感じである。最後の方にはちょっと大掛かりな展開になるものの、原作のようなドラマチック性は全くないし、唖然とするような展開になることもなければ胸が熱くなるような描写が描かれることはない。最終盤になるとむしろグダグダダラダラになるくらいだ。これなら、終盤は同じようにグダグダダラダラしていても序盤のつかみだけは優れていた『ザ・ボーイズ』の方がずっとマシであると思う。

 というか、この内容なら取捨選択すれば2時間で描けると思う。どうでもいい会話シーンとか木っ端登場人物たちのシーンとかは全てカットすればいい。そもそも荒唐無稽な話であるのだから会話シーンとか生活シーンとかを増やして登場人物の「リアリティ」なり「実在感」なりを増したところで同じ世界に住む人間としての感情移入はできないのだし。そして、たっぷりと時間をかけて描かれる主人公のアンジェラ・エイバー=シスター・ナイト(レジーナ・キング)や準主人公のローリー・ブレイク=シルク・スペクター(ジーン・スマート)に、キャラクターとしての魅力もなければ俳優としての魅力もないことが特に問題だ(二人とも、中年女性であることを差し引いてもとりわけ華がない女優であると思う)。

「人種差別」や「黒人問題」というテーマを『ウォッチメン』の世界観に接続させる技法自体はそれなりにテクニックが感じられたと思うが、それだって「だからどうした?」という範囲のものである。原作のなかでもかなり脇役の登場人物を「実は黒人でした」とすることにもいかにも取って付けた感があって苦しさを感じたし、キャラクターの性別と人種の配置、どのようなキャラをみっともなく描いてどのようなキャラを格好悪く描くか、という塩梅もいかにも最近の流行に乗っかっている感じで安直だ(要するに「、有色人種/女性」を頂点として「白人/男性」を底辺とするおきまりのヒエラルキーに沿ってキャラクター描写が設定されているということである)。

 

 原作よりもつまらない後日譚を描くことは許されるとして、たとえば原作の映画版が2時間であったのなら「つまらない後日譚」は1時間以内に収めるべきだ。前の作品よりもつまらない作品を作っているくせに視聴者から奪う時間は前の作品の4倍以上であるというのはどういう了見なのか意味がわからない。こういう作品に文句も言わず黙って視聴する人たちも問題である。ダラダラした安直な物語を9時間もかけて観ることは、人生における損失である。それがわからない人たちはもっと"時間"の貴重さについて考えたほうがいいのだ。