THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『砂の器』

 

砂の器 デジタルリマスター版

砂の器 デジタルリマスター版

  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: Prime Video
 

 

 松本清張原作、野村芳太郎監督のコンビニよる作品は『疑惑』『鬼畜』も名作であったが、どちらもちょっとだけ地味というかTVドラマでも描けてしまいそうな「小品」という感じがあった。それに比べると、『砂の器』は他の作品にはない「大作」感がただようところが特別である。

 原作小説の方は10年以上前に読んだことがあるが、珍妙な超音波兵器の存在が邪魔をしてイマイチ感想に困る作品であったことは否めない。この映画では超音波兵器の存在を無かったことにして(英断だ)、犯人である和賀英良=本浦秀夫(加藤剛)の人生をめぐるドラマを正面から強調した作品となっている。

 実の父親の本浦千代吉(加藤嘉)が患っていたハンセン氏病とそれに対する差別により息子である秀夫までもが人生を狂わされ、親子の仲が引き裂かれたすえに紆余曲折あって大人になって音楽家としての成功を収めるが、捨ててきたはずの過去がいまでも「宿命」として背後に迫ってきて…というドラマだ。スター的なピアニストかつ作曲家として華々しい人生を送っている和賀であるが、壮絶過ぎる過去のために「幸せ」というものの存在が信じられなくなっているところが実に悲しい。

 千代吉と秀夫の本浦親子の放浪シーンや千代吉が和賀の写真を見たときの反応などは「泣かせ」にきているとしか言いようがない演出であるが、王道であるだけにグッとくるものがある(特に、千代吉の手紙の内容について語ったあとに今西刑事が涙ぐむシーンが素晴らしい)。捜査会議・本浦親子の放浪シーン・和賀による「宿命」の演奏会、という三つの場面を行ったり来たりしながら和賀英良の人生や犯行動機が一気に明かされる怒涛のクライマックスの完成度はおそろしいものだ。クライマックスが一時間も続く作品はなかなか見たことがないが、時間を忘れさせる没入感や勢いがあった。

 

 前半における今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事(森田健作)による捜査シーンもなかなか面白い。多少のご都合主義は感じられるが、東北や出雲に伊勢に大阪と様々な地方を旅しながら徐々に事件の真相に迫っていく展開は目が離せないし、昭和時代の日本各地の町並みを眺められるのも楽しい。また、捜査機関は真夏だということがありどこにでもスーツを着て訪れる今西刑事は常に暑そうにしているが、これが後半における本浦親子の寒そうな放浪シーンとのいい対比になっているのだ。ヒグラシの鳴き声が聞こえる田舎の場面では郷愁を誘われるし、見ていると無性に旅行がしたくなる映画である。東北弁と出雲弁が似ているというトリビアが捜査のカギとなる展開も印象的だ。

 

 事件の被害者である三木謙一(緒形拳)はその善人性からくるお節介のために殺されてしまったことが判明して、回想シーンを見るとほんとうに面倒見のいい善人であっただけに気の毒で、登場シーンは少ないながらもかなり印象に残るキャラクターとなっている。一方で、和賀の愛人である高木理恵子(島田陽子)はメイン格の登場人物では唯一の女性であるうえに途中で死んだりしてしまうのに、異様に記憶に残らない存在となっている。メタ的に見れば、彼女の方がずっと気の毒かもしれない。

 

 本浦親子の放浪シーンで描かれている物語は悲劇であるゆえに、四季の自然を強調した背景がギャップによってさらに美しく感じられる。また、ところどころでテロップを挿入して展開や説明を省略する演出も優れていると思う。

 この映画に対する最大のツッコミは「本浦秀夫の少年時代しか知らない連中が現在の和賀の写真を見たところで同一人物だと気付くわけないだろう」というものであるだろうが、子役と加藤剛の顔立ちが似ていることもあって、わたしは気にならなかった。また、序盤の展開をかったるく思う人も多いらしいが、わたしはこういう地味な捜査パートも好きである。前半は淡々とした捜査を追いながら昭和の風景を味わい、後半は劇的な人間ドラマに釘付けになってと、贅沢な楽しみのある作品であった。