THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『LEGO ムービー』+『レゴバットマン ザ・ムービー』

●『LEGO ムービー』

 

 

 2014年の大晦日にDVDを借りてみて以来なので、およそ7年ぶりの鑑賞。内容はもうきれいさっぱり忘れていて、『フリーガイ』と冒頭がほとんど同じであること(オマージュだよね?)やテーマが似通っていることはおろか、クライマックスで実写になることすら失念していた。

 公開当時から映画好きから大絶賛されるタイプの作品だけれど、わたし的には『フリーガイ』は生涯ベストになりえる作品に比べて、『LEGO ムービー』はそこそこ。所詮は子供向け映画であるからアクションシーンやキャラクター描写は書き割り的だし、レゴであることを活かしたギャグや画面の工夫もまあ「うまいことやっているね」と感心はするけれど感動するほどではない。おもちゃ(ゲーム)の世界とそれで遊ぶプレイヤーの世界との二重構造を描きながら「普通の人」が「出口」を見つけて「主役」となる有り様を描く、という(胎界主的な)展開も、『LEGO ムービー』だと「子供の自由な想像力」や「大人と子供の対比」といった感動できてはあるがありきたりなところに回収されるので、フリーガイに存在していたようなダイナミズムが感じられないのだ。

 

●『レゴバットマン ザ・ムービー』

 

 

 こちらも映画好き大絶賛だがわたし的にはそこそこ止まりな作品だ(とはいえ、『LEGO ムービー』よりかは『レゴバットマン ザ・ムービー』の方が高評価)。

 孤独で偏屈に生きてきたバットマンが自分の弱さを認めながらも「家族」を作るという展開は、たとえば自律と依存の対比みたいなケア倫理的な見方もできるかもしれないし、それなりに良いテーマであるだろう。ジョーカーとのライバル関係を露骨に同性愛的な「恋愛」になぞらえながら話の主軸にするところも、「ジョーカーとの宿命」というバットマン作品としての定番なトピックをギャグに昇華しつつも描き切っているし、実写版映画では違和感がありすぎて無理でアニメ映画(レゴだけど)じゃないとできない描き方なので、まあ賢いし批評性もあると思う。

 クリストファー・ノーランザック・スナイダーのせいでとにかく重苦しい映画にしか出演させてもらえず、MCU的なギャグや他ヒーローとの活き活きした掛け合いもさせてもらえなくて常に神妙な面を強制されていたバットマンが、のびのびとギャグを言ったり下品な言動をさせてもらえていたりするところには新鮮味がある。過去のバットマン映画のシーンをレゴで再現した挙句に1960年代の実写映像を持ってくるギャグは面白い。

 クライマックスにおける、崩壊しかけのゴッサムシティをレゴならではのギミックで復元する演出は劇場で見た当時にはいい意味でバカバカしくて笑ってしまったし、数年後まで覚えていられるくらいには印象的だ。 

 とはいえ、ちょっとメタ要素が多過ぎるということもあり、このストーリーにのめり込んで感動するというわけにはいかない。いくら世界観が違うとはいえ、実写だと人を殺しまくっている悪人連中と共闘されたところでアツさや感動はないものだし、わたしはハリーポッターロードオブザリングも観ていないからゲスト出演したヴィランたちにもテンションがあがらない(エージェント・スミスキングコングくらいならわかるけれどあんまり活躍しないし)。DC映画もけっこう作られてヒーローたちへの共感や親近感が抱けるようになった後では、バットマン以外のDCヒーローたちの小物っぷりや扱いの悪さも気になってしまうところだ。

 あとロビンが声の高さも顔もやたらとキモくて(半ズボンを見せつけてくるところとかマジでキモい)、こいつの存在だけで評価がひとつ下がる。バットガールとの恋愛描写も、バットマンならもうちょっとクールに恋愛するものじゃないの?と思ってしまう。

 

 しかしまあ、この二作では、所詮はレゴは子供のおもちゃであり、レゴで作った映画も多かれ少なかれて子どもだましなものとなる、ということが悪い意味で示されているだろう。