THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ザ・ベビーシッター』&『ザ・ベビーシッター ~キラークイーン』

 

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ザ・ベビーシッター』のほうは、たしか2017年くらいに「エッチなシーンあるかなあ」と思って序盤に早送りしたけれどエッチなシーンはなさそうだったから見るのやめた。今回はハロウィンということで、『~キラークイーン』とあわせてちゃんと鑑賞した。

 

 一作目に関しては、お気楽なホラー・スプラッター版『ホーム・アローン』という感じで、まあくだらない。映画好きなオタク少年(コール・ジョンソン)がイケイケの女子高生だか女子大生だかのビー(サマラ・ウィーヴィング)に憧れていて、意外なことに彼女も映画好きだったので打ち解けて性的な面以外のところで絆ができて、でもビーは悪魔崇拝かなんかのカルト教団の一員で主人公は殺されそうになるんだけれどなんやかんやあって窮地を脱してやり返して、死ぬ間際にビーとの「絆」を思い出してしんみりする……というところがポイント。

 処女ではなく「童貞」が無垢の血を狙われる展開とか、ホラー映画では真っ先に死ぬタイプのイケイケ女子がボス敵になるところとか、なにより「年上のお姉さんに対する性的な憧れ」が無化される構成とか、ところどころに批評性は感じなくもない。でもまあ、昨今のホラー映画では批評性なんて標準装備だから大した評価点にはならない。

 ビーのキャラクターはあまり気に食わないのだけれど、脇役の描かれ方はおもしろい。ノリが良くて人も良さそうなアフリカ系のジョン(アンドリュー・バチェラー)はホラー映画にあるまじき恐怖のなさだけれどそれが個性となっている。そして、ムキムキの体育会系であり、主人公の少年を殺そうとするのと同時に「男らしさ」を身に付けて成長することを応援するマックス(ロビー・アメル )は、はっきりいってビーより遥かに個性的で魅力的だ。

 しかし、せっかく脇役が魅力的であり、そして『ホーム・アローン』的な設定であるのに、ソーニャ(ハナ・メイ・リー)をのぞけば敵役たちの「撃退」の仕方にはまったく工夫がない。逃げ惑ったりもがいたりしているうちに相手の方が事故によって勝手に死ぬ、なんてなにもおもしろくないでしょう。エンディングで少年が両親に「もうベビーシッターはいらないよ」と言って「成長」を示すことが作品のポイントであるのだから、もっと意識的に困難に立ち向かわせて逆境を打破する展開にすべきであった。

 

 二作目は『 ~キラークイーン』は前作に多少存在した魅力も打ち消されて、さらに台無しな作品となっている。なんといっても、可愛らしい清純派のメラニー(エミリー・アリン・リンド)が悪役にさせられて、ポット出の量産型サブカル女のフィービー(ジェナ・オルテガ)が代わりにヒロインとなっているところが最悪。ホラー映画にありがちな「清純派が正義でビッチが悪」という構図を逆手に取って批評性を示したつもりだろうが、何度も言うように、昨今のホラー映画ではそのタイプの浅薄で取って付けたようなフェミニズム的批評性は標準装備となっているので、当たり前のものとなっているのだ。

 それにあわせてビーが「いいやつ」にされることにより、前作で彼女が罪のない人間を何人か殺していたことも不問にされて、倫理観もあやふやで筋が通っていない作品になっている。主人公とヒロインがセックスすることが事態を解決するきっかけとなるのも、「セックスしたら死」というホラー映画のお約束を逆手に取っているつもりなんだろうけれど、その程度の工夫なんていまどきのホラー映画なら……(以下略。

 キャンプ地という開放的な舞台にしたがゆえに『ホーム・アローン』的な舞台設定の妙も失われてしまい、また、複数の男キャラが巻き込まれて無惨に死んでいるのにそれについて作中で問題視されないというのも居心地が悪い。いちおうブサイクな女キャラをひとり出して殺しているところは評価できるけれど、基本的には、「女性キャラは慎重に扱わなければ批判されるけれど、男はいくら殺しても文句言われない」という21世紀版のアップデートされた「お約束」に甘え切った作品であると思う。むしろ、その「お約束」に切り込まなければ、真に批評性のあるホラー映画は作れないはずだ。