THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『マイティ・ソー』

 

マイティ・ソー (字幕版)

マイティ・ソー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』と同じく、MCUの「ビッグ3」の「オリジンもの」であり、翌年に製作される『アベンジャーズ』に向けて登場キャラクターの人物像や世界観の設定を開示するために作られた作品という色合いが強い。1作目が大ヒットしたわりに2作目と3作目がいまいちパッとしなかった「アイアンマン」シリーズとは逆に、「キャプテン・アメリカ」シリーズは2作目の『ウィンター・ソルジャー』から、「マイティ・ソー」シリーズは3作目の『バトルロワイヤル』から花開いた、というところが大方の人の意見だろう。

 わたしも公開当時は『アベンジャーズ』の情報にワクワクしていただけに、この『マイティ・ソー』と続く『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』を劇場で見たときにはかなりがっかりしてしまった思い出がある。それまでに見てきた他のアメコミ映画(『ダークナイト』、最初の「スパイダーマン」3部作、最初の「X-MEN」三部作に『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』)に比べて主人公のキャラクター性があまりに素直で凡庸に思えたし、ストーリーも王道過ぎて、なにより主人公以外の登場人物が主人公の引き立て役という役割しか与えられていないように思えたからだ。特に敵キャラクターがショボくて深みがなく、『ダークナイト』のジョーカーと比べるのは酷にしても、スパイダーマンでいうオクトパスやX-MENマグニートーなどに比べてもかなり浅薄に感じられたものである。とはいえ、いまになって振り返ると、この映画の敵役であるロキ(トム・ヒドルストン)はヒーローたちと同じくらいこの後の作品にも出続けて、それにより段々と味わいや深みを身に付けていくキャラクターではあったのだが。

 

 とはいえ、8年ぶりに改めて見返してみると、なかなか楽しめた。『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』は再視聴してもキツいところが多かったが、この映画はなんだかんだでクオリティも保たれていて単品映画として見所がそれなりにある。シェイクスピア劇で有名なケネス・ブラナーが監督しているだけあって、北欧神話をモチーフにした兄弟間や父子の「悲劇」を軸としたプロットが、テンプレ的でありながらもしっかりとした骨子を物語に与えられている。

 また、これまたテンプレ的な技法ではあるのだが、ソーたちが暮らすSF的・ファンタジー的な世界観の「アスガルド」で展開する場面と、アメリカのニューメキシコにあるごく普通の田舎町で展開される場面とが交互に挟まれることで、超常と日常とが交差する瞬間を印象的に描くことに成功しているように思う。奇抜な格好をした異界からの来訪者に町の人々がどよめいたり指を指して噂話をするシーンなんかは「ファースト・コンタクト」ものの醍醐味といっても差し支えないだろう。MCUの世界は途中からは一般市民たちもヒーローとヴィランの存在を認識するようになってファンタジーやSFが当たり前のものとして膾炙するようになり、それに伴って新しいヒーローやヴィランがあらわれたときの人々の反応に新鮮さがなくなっていくという弊害も生じていたのだが、かなり初期である『マイティ・ソー』では新鮮な反応がたっぷりと味わえるということだ。

 キャラクターの描写もなかなか良い。主人公であるソー(クリス・ヘムズワース)はこの映画の時点ではまだそんなに悲劇を体験していないので素直で豪快な快男児というキャラクターでしかないのだが、逆に今時の映画ではなかなかないような「まっすぐ」な性格をしたキャラクター性に好感が持てる。爽やかな笑顔や筋肉隆々の身体つきも魅力的だ。敵役であるロキが兄のソーや父親のオーディンアンソニー・ホプキンス)に対して複雑な感情を抱いているところは物語にひねりを与えているし、浅野忠信含むウォリアーズ・スリーたちは「賑やかし」以外の何者でもないが彼らとソーとの交流にはアニメ的なほのぼのさが感じられるし、門番であるヘイムダルイドリス・エルバ)の存在感もなかなかのものだ。

 しかし、何よりもこの映画を魅力的なものにしているのは、ヒロインのジェーン・フォスターを演じるナタリー・ポートマンの存在である。はっきり言ってしまうと、MCUの世界のヒロインは華がない女優が演じていることが多い。例外はスカーレット・ヨハンソンとデンゼイヤ、そしてナタリー・ポートマンくらいだろう。ナタリー・ポートマンは元々から繊細でちょっと神経質そうな美しさと可愛さを兼ね備えた女優であるが、この映画では「突如あらわれたマッチョなヒーローに最初はドン引きするがとあるきっかけで彼に惚れてしまいドキドキしちゃい、危険を顧みず彼と一緒に行動して彼をサポートして、別れ際にはチューして、彼がいなくなったら彼と再会する手段を一途に模索する」という「漫画やアニメのヒロイン」以外の何者でもない書き割り的な役柄を与えられている。書き割り的ではあるが、なんでこのテンプレが多くの作品で用いられるかというと、これこそが「女の子」の可愛らしさを最大限に引き出すキャラクター造形であるからだ。ナタリー・ポートマン自身が主演となっているまともな映画であれば彼女が演じるキャラクターにももっと人間性や深みを与えられるので「可愛らしさ」は犠牲にせざるを得ないが、この映画では終始ソーの添え物のヒロインであるので愛嬌をたっぷり振る舞い続けることができる。今時ではこんなヒロインが出てくる作品も珍しくなっているが、たまに見てみるとやっぱりいいものである。