THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』

 

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー (字幕版)
 

 

 

 シリーズ一作目の『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』は正直言って退屈な凡作であるのだが、その続編の『キャプテン・アメリカウィンター・ソルジャー』は打って変わってかなり面白い。同時期の『アイアンマン3』や『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』もまあ大した作品ではなかったし、最初にヒーローが集結した特別な作品である『アベンジャーズ』を除けば、この作品からMCUは「ハネた」と言っても過言ではないだろう。

 MCU作品としては異質なくらいに「リアル」で「シリアス」寄りだ。相変わらず派手な盾を持って珍妙な格好をしているスティーブン・ロジャース=キャプテン・アメリカクリス・エヴァンス)と途中から背中に翼を生やすサム・フィルソン=ファルコン(アンソニー・マッキー)、片腕が機械の黒マスクをつけたウィンター・ソルジャー(セバスチャン・スタン)を除けば、戦闘要員は敵も味方も軍人かスパイであり、絵面としては地味だ。…と言っても、よく見てみると至るところに未来的な超技術やトンデモ兵器が出てきたりするのだけれども。

 ストーリーの雰囲気も終始シリアスではあるが、冷静に考えると「S.H.I.E.L.D」とかいう平和維持を目的とした(?)世界的な軍事組織(?)が話の中心となり、さらにその組織のなかには「ヒドラ」というネオナチ的(?)な組織の内通者が大量に潜んでいて実質乗っ取られていた…という荒唐無稽もいいところなお話だ。しかし、その荒唐無稽さに対する茶化しや照らいを一切挟まずに、終始一貫して大真面目にシリアスな雰囲気を保ち続けるところが素晴らしい。凡百の製作者ならどうしてもメタ的なギャグや突っ込みを挟んでエクスキューズを入れたくなってしまうものだと思うが、あえてそうしないストイックさを一貫させたところが、この作品を名作にしたのである。

 主人公であるキャプテン・アメリカにはアイアンマンやマイティ・ソーのような派手な武器がないし空を飛ぶこともできず、盾を駆使して地上で肉弾戦を行うことしかできないというハンディキャップを持つが、この作品はそれを作劇的な長所として活かしている。つまり、超人ではありつつも現実の物理法則の範囲内のアクションしかできない人間を主人公に据えることで、アメコミ映画でありながらも軍人や警察やスパイが主人公となるタイプの一般的な「アクション映画」の雰囲気を出すことに成功しているのだ。アクションのない会話パートや日常描写でも、主人公が一人の兵士かつ諜報員であることが徹底して強調されている。(服装と盾にさえ目をつぶれば)アメコミ映画であることを忘れて見ることも可能だ。冒頭の船上におけるジョルジュ・バトロック( ジョルジュ・サンピエール)と一騎打ちでの格闘シーン、ブロック・ラムロウ(フランク・グリロ)率いる兵士たちとのエレベーターでの攻防、ニック・フューリー(サミュエル・ジャクソン)が車で逃亡するシーンやキャプテン・アメリカチームとウィンターソルジャーとのカーチェイスなど、印象的なアクションシーンが全編にわたって目白押しである。

 そして、スパイ映画的な要素を強調することで、ヒロインであるナターシャ・ロマノフ=ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)や、これまでは指揮官として口出しするばかりであったニック・フューリーの活躍も存分に描くことができている。特に、中盤まではキャプテン・アメリカと二人きりで行動するブラック・ウィドウは、ファルコン以上に「相棒」という感じがする(一方で、エスカレーターでのキスシーンとその後の車内での会話など、彼女が女性であることを活かした描写もしっかり挟まれている)。

 ヒドラに所属していたゾラ博士(トビー・ジョーンズ)が1970年代の技術を用いた人工知能と化して生存していたことが判明するシーンはケレン味に溢れていて、「リアル」さを保ち続けているこの映画のなかでは異質なシーンとなっているがそれだけに印象に残る。ボス敵であるアレクサンダー・ピアース長官(ロバート・レッドフォード)はいかにも「悪の権力者」然として振る舞う王道的な描かれ方だ。ここら辺の敵役の描写には昔の「007」シリーズなどの往年っぽさが感じられるが、これが現代的なアクションやストーリーと妙にマッチしていて心地よい。敵側の目的や動機(秩序を乱す可能性のある人間をアルゴリズムで測定して、犯罪などを犯したりする前に抹殺する)は取ってつけたような感じのしょうもないものであり真面目に考えるだけ無駄だが、その目的を達成する手段である超兵器「ヘリキャリア」はかなりの存在感を放っているし、絵的に地味であった中盤までから怒涛の戦闘が繰り広げられる終盤へとステージが切り替わることを画的に示してくれる。

  冒頭におけるランニングのシーンや任務中に異性関係について茶々を入れてくるブラック・ウィドウとの会話シーンなど、なんてところのないシーンも印象に残るようになっている。

 なによりも、『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』のときと同じく、主人公であるキャプテン・アメリカが常に善良で真っ直ぐで清潔な存在であることがこの映画を見ていて気分の良いものにしてくれる。アクション映画…特にスパイ映画の主人公というものは私利私欲があったり脛に傷を持っていたり任務中に出くわしたイイ女とベッドインしたりなどのヨゴレがつきものだが、キャプテン・アメリカはキャラクター設定上そういうことは絶対しないものだ。舞台を現実世界に据えた普通のアクション映画で主人公をそんな設定にしてしまうと「リアリティがない」「物足りない」と批判されてしまうところだが、アメコミ映画だからこの設定も許される。他のアメコミ映画に比べて絵面が地味なこの作品であるが、主人公のキャラ設定という点に関しては、「アメコミ映画」であることをフルに活用していると言えるだろう。