THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『37セカンズ』:"障害者の主体性や自立心"を描いた作品ってもう珍しくないよね

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 脳性麻痺で下半身が動かず車椅子で生活している身体障害者であり、人気漫画家のゴーストライターとして漫画を描きながらもいつかは自分の名前で堂々とデビューすることを望む貴田ユマ(佳山明)が主人公のお話。

 

 近頃では「障害者もの」フィクションには一種のテンプレやお決まりが定まっている。どの作品に対しても「お涙頂戴の感動ポルノではない」とか「障害者に付きまとう"受動的な被害者"というイメージをくつがえして、障害者の自立や主体性を描いている」とかいう評価がされるものだ。この作品と同じくNetflixで配信されている洋画の『思いやりのススメ』もそうだったし、わたしは未見だが『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』もそのタイプの作品であるだろう*1。というか、いわゆる「感動ポルノ」として批判されるような、"障害者の被害者性を強調する映画"の方が、その実例を挙げることが難しいくらいだ。映画を製作する人たちの間にも多かれ少なかれ考えというものが存在していて、「障害者もの」を製作する際には「感動ポルノ」的な批判の存在を意識せざるを得ないだろうし、また障害者の主体性を強調する"障害学"的な考えを反映して製作するものなのである。

 …しかし、「障害者を受動的な被害者とする世間のイメージをくつがえして、意志力に満ちた主体的な存在として障害者を描く」ということ自体がもはやテンプレ化してしまっていることが、このテの作品の難しいところだ。どうやら製作者たちには「世間にはまだ障害者を受動的な被害者として見なすイメージが強いから、わたしがこの作品でその評価をくつがえしてやる」という野心があるようだし、作品を観てレビューを書く観客たちも「お涙頂戴の物語かと思っていたら主人公の自立心や意志力が感じられた」と素直に驚いているようであるが。なんというか、人が良いんだなという感じである。

 

 この作品の最大の特徴は、特に前半の画面では、女性である主人公の「性」の要素が強調されていることだろう。主人公は性的な要素の強い少女漫画(レディースコミック?)を出版社の編集部に持ち込み、作品を読んだ女性編集者(板谷由夏)から「セックス場面にリアリティがまったくない、セックスしたり男性と付き合ったりする経験を積んでから出直せ」という旨のことを言われる。そして、出会い系サイトで出会った男性と付き合おうとしたり、女性向け風俗で処女喪失しようとしたりするのだ。

 ここら辺のシーンには画面を直視することも難しい痛々しさや生々しさなどの「見ていられなさ」があるが、これは制作側が演出として意図したものであるだろうし、それは成功している。(失礼ながら)美形でもなんでもない女優を主役に据えていることも英断であるし、男性経験がないために化粧がヘタクソであったり男性に対して下手に出て媚びるような態度でしか接することができないなどの微妙な部分の描き方にもリアリティがあった(リアルでありながらも、日本映画でないと許されないような描き方でもあると思った)。

 風俗街でキャッチに男性セックスワーカーを紹介してもらうシーンや、ラブホテルで待ち合わせして対面する男性セックスワーカーの人物描写などにも妙なリアリティがあったように思える。

 

 しかし、はじめての性的体験をラブホテルで済ませた直後、たまたま同じラブホテルにいた男性障害者(熊篠慶彦)と風俗嬢(渡辺真起子)と知り合い、二人との交流を通じて他の人たちとも知り合うようになり社会参加を行うようになって、それに比例して束縛の強い過干渉の母親(神野三鈴)からの自立したいという気持ちが強くなっていく…という展開はかなりテンプレ的で非現実的なもののように思える。生き別れの父親の死と双子の姉の存在が唐突に判明して、タイまで双子の姉を訪ねにいく…という展開はちょっと滑稽なくらいにリアリティがないし、それこそ「お涙頂戴」な感じがした。

 このご都合主義的な感じは中盤から終盤までずっと続く。だから、前半までの「性」を描いているエゲツない場面が終わってからは、わりと凡庸な映画であった。オープニングにおける渋谷や新宿の雑踏などの「いかにも東京」な風景の映し方に象徴されるように、画面作りのセンスもあまり感じられない。

 主人公のキャラクター描写は細部に至るまでしっかりしていおり、母親のキャラクターにもそれなりのリアリティはあるが、脇役たちはほとんど全員が書き割り的なキャラクターになってしまっている。気風がよくて面倒見もよい風俗嬢とか、自由に容器に生きていて主人公の手本となる障害者としての"先輩"的ポジションとか、なんかタイで学校の先生をやっている双子の姉とか。特に、作中において悪役としての役割しか果たさないYouTuber兼漫画家(主人公をゴーストライターとしてこき使っている)のSAYAKA(萩原みのり)というキャラクターの描写はひどいものだった。