THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

ひとこと感想:『ディア・グランパ:幸せを拾った日』、『雨に願いを』、『アドバンテージ:母がくれたもの』

 

 毎年、梅雨の時期になると体調が悪くなって頭痛や倦怠感に苛まれる。今年は飲酒量をかなり抑えているので例年よりかはマシなのだが、それでも、朝に起きた時点で曇り空でジメジメしている日は気分も晴れずに頭もまわらない。

 毎日朝と晩に映画を見ることを習慣化(というか義務化)しているわたしが、頭がまわらない時に面白い映画を見ると勿体無いので、「これはあんまり面白くなさそうだけど見てみると予想外の傑作だったという可能性がワンチャンあるかもしれないな」という程度の期待度の作品を見ることになる。そして、たしかにそういう作品が予想外の傑作であって楽しめて嬉しい気持ちになることもあるのだが、そんなラッキーなことが早々起こるわけではない。今回紹介する作品は、そんな感じで見てけっきょく「ハズレ」であった作品たちだ。

 

●『ディア・グランパ:幸せを拾った日』

 

 

ディア・グランパ 幸せを拾った 日 (字幕版)

ディア・グランパ 幸せを拾った 日 (字幕版)

  • 発売日: 2019/01/09
  • メディア: Prime Video
 

 

 犬や猫を片っ端から拾いまくってしまう主人公(ヴェラ・ファーミガ)は、多頭飼育崩壊の恐れがあるし社会人としても明らかに問題のある人物ではあるが、根本的にはお人好しで優しい人間であることが描写されていて、好感が抱ける。いじめられっ子の息子(ルイス・マクドゥーガル)が母親の影響を受けて動物好きになっているという設定もいいし、ちょいワルなおじいちゃんを演じているクリストファー・プラマーもいい。

 しかし、ストーリーとしては野暮ったい感動ものロードムービーでしかなく、評価すべきところはない。クリストファー・プラマーが孫と密約を交わして主人公を大麻の運び手にしてしまうシーンとか、主人公の元夫(ボビー・カナヴェイル)をクリストファー・プラマーがパンチするシーンとかも「はいはい」って感じだ。途中で挿入される洋楽の歌詞で現在の主人公の心境とか登場人物の関係性をそのまま表現してしまう演出も、実にダサい。「欠点もあるけど根は優しい良い人ばっかりが登場する心暖まるロードームービー」だからといって、ダサさや完成度の低さが見逃されるわけじゃないのだ(いや、実際には、このテの"心暖まるロードームービー"が好きな人ってやたらと多くて、そのために過大評価されがちなジャンルにはなっていて、欠点が見逃されしまう傾向にある。『グリーン・ブック』くらいに完成度が高ければいいのだが、大半のロードームービーって間延びしていて単調な展開になりがちだという問題点にも、みんなもっと目を向けてほしい)。

 

●『雨に願いを』

 

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 干ばつに苦しむ農家と絶滅危惧種を保護したい環境団体との対立を描いた社会派映画としても、主人公の父親の死に隠された陰謀をめぐるサスペンス映画としても中途半端。都会人のひ弱な女主人公(ジェーン・シーモア)が活躍するリアリティのない作品であるのにやたらと重苦しくシリアスぶって描いているせいでつまらなくなっているし、環境団体が一方的に悪者に仕立て上げられている感じも気に食わない。登場人物たちの描写も全体的に底が浅いし、チンピラたちが主人公たちを脅迫するシーンの描き方には何十年前の作品だよってレベルのダサいセンスが感じられる。いかにも「感動映画」的な単調なBGMが延々流れるところも鬱陶しい。登場人物の会話シーンが多いわりにその描き方にも工夫がない。『ファーザーズ』と同じで、保守的なメッセージを主張するのはいいのだが映画の製作技術やストーリーテリングのレベルまで退行させる必要はないだろう、と思わさせられる作品だ。

 

 

●『アドバンテージ:母がくれたもの』

 

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 ルッキズムがあーだエイジズムがこーだフェミニズムがどーだと「イズム(批判)」がありありの作品。これは私見だが、フェミニズム的メッセージのこもった作品と近未来SFの組み合わせってだいたい最悪だ。「近未来の社会がどうなるか」は製作陣の想像力に委ねられるわけだが、SFの方に主眼が置かれた作品であればリアリティのあるSF的想像力を追求した未来社会の描写を練り上げるという方向にはたらくものの、「イズム」の方に主眼が置かれた作品だと被害者意識を安直に投影した安っぽくて作り物っぽい世界観になりがちなのである(とはいえ、特に「イズム」がなさそうだった『セブン・シスターズ』なんかも未来社会の描写がとにかく浅薄で安っぽかったから、単純に製作陣の意識や才能の問題であるかもしれない)。

 AIとかドローンとかが発達しまくりの世界で失業者が出まくっていて、特に女性の失業問題が深刻になって…という設定がいかにも安直だ。劇中で採用担当者が「男性が道中に溢れかえるよりも女性が家庭に入ってくれている方がマシだから、女性よりも男性の方を優先して雇うことにしている」というセリフを吐く場面があるのだが、現代ですらコンプラ意識がしっかり定着していてそんなことを言う会社の方が問題になって炎上するであろうに、数十年後の未来で「女は家庭に入っていろ」なんて価値観がここまで露骨に残るわけがない。技術が進歩しているのにそれに伴う社会制度や価値観の進歩をなにも考えていないところが浅はかなのだ。主人公(ジャクリーン・キム)は「美を追求する会社でモデルとして働いていたが、年齢を理由に解雇された」と言う設定であるのだが、現代ですら「プラスサイズ」がたたえられてどう考えても身体的に魅力がなく不健康なモデルが(半ば無理矢理に)採用されているのだから、未来になると年老いたモデルだって活躍の場はいっぱいあるに決まっている。現代は見た目が悪かったり年老いたりしていて外見的魅力のない存在に対しても「イズム」によって強引に「美」が見出されるようになった時代であり、それが近未来になって急に逆行するということはないだろう。フェミニズムとかポリティカル・コレクトネスは世間の価値観やスタンダードを現在進行形で変え続けているのだが、その事実を直視すると「被害者」としてのポジショニングがとれなくなるので、あたかも自分たちの主張が無力で現実になにも影響を与えていないかのように装うのだ。

 ストーリー自体も深刻ぶっていて単調で面白くなく、役者陣に魅力もない。しかし、「イズム」を全面に押し出した作風であるので、世間の風潮に逆らわず無難にやり過ごしたい小賢しくて保身的な批評家たちはこの作品を褒めざるを得なくなる。ジョーダン・ピール監督の『アス』もそういう褒められ方をしていたが、こーいう状況だと「メッセージ」と「立ち回り」で是非が決まることになり、製作陣からは創造性も想像力もどんどん失われていくことになってしまうのだ。