THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『静かなる情熱:エミリ・ディキンスン』

 

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(字幕版)

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(字幕版)

  • 発売日: 2018/03/16
  • メディア: Prime Video
 

 

 タイトルやポスターから受ける印象通りの、淡々としていて地味な映画だ。一見すると信仰に逆らったり世俗を小馬鹿にしていて破天荒ではあるが、実際には生真面目で純粋で頑固なエミリ・ディキンスンが主人公である。若い頃のエミリ・ディキンスンはエマ・ベル、中年以降はシンシア・ニクソンという女優がそれぞれ演じている。

 この映画によるとエミリ・ディキンスンは文学者らしい社会不適合者である。エミリは女性を束縛する時代性において自由を求める志向があるが、元々の純粋な気質にフラストレーションが加わってか、年を経るにつれてちょっとした悪徳や偽善をも許すことができない堅物な人間になっていき、それで家族との仲も悪化してしまう。芸術や文学というととかく「自由」や「解放」的なものがイメージされがちではあるし、特に20世紀以降の芸術といえばすぐにセックスや乱交や不倫や異常性愛につながりがちであるのだが、生来の芸術家や文学者というものには生真面目で純粋な人も多いのだ。わたしも不倫などは許せないピューリタン気質な人間なので、終盤で兄と親友が不倫行為をしてエミリがガチ切れするシーンは好感が抱けた。

 家族みんなが仲良くすることを一番に望む心優しい妹のラヴィニア・ディキンスン(ジェニファー・イーリー)や、フェミニズム的な考え方を持っていてエミリに影響を与えているがエミリと違って打算的で実利的な生き方をしており、最後にはエミリの兄と不倫行為をしてエミリに絶交されてしまうバッファム(キャサリン・ベイリー)などの脇役もそれなりにいいキャラをしている。

 とはいえ、退屈でパッとしない映画であることはまず間違いがない。伝記映画といっても『トランボ ハリウッドで最も嫌われた男』のような印象的な作品を撮ることは可能であるはずなのだが、時代劇の範疇に入る昔の時代を舞台にして、しかも家からほとんど出ることがなかったから家族とごく一部の知人としか関わることのなかったエミリ・ディキンスンを主人公にして面白い作品を作ることは、まあ無理だったのであろう。

 

 ところで、大学時代にはアメリカ文学を専攻したわたしであるが、エミリ・ディキンスンにせよホイットマンにせよロバート・フロストにせよ、「詩」の良さや価値というものはさっぱり理解できないまま卒業してしまった。この映画でもエミリの詩がたびたび引用されていたが、もってまわったような表現で面倒臭い文章だなとしか思えなかった。

 しかし、わたしは文学者ではないが文学者気質ではあるので、こういう文学者を主人公にした作品にはどこかしら自分と重ね合わせて共感できるところが多い。エミリ・ディキンスンの場合は、頑固であるところとか偽善に我慢できない潔癖さとかに共感を抱けた。また、自分の内面にある感情とか情熱とかを重視して神聖視して、芸術や超越的なものへの渇望が強いあまりに、地に足を付けて世俗の世界を生きている身の回りの人たちのことを大切にしない…というのも、このタイプの芸術家にありがちな悪い性質だ。この映画はエミリのことを決して魅力的には描いていないフシがあり、彼女の面倒臭さや傍迷惑さ、女性解放や奴隷解放などの進歩的なことを口では言いながらも家の財産に頼りっきりでロクに労働もしないエミリやバッファムの欺瞞性(まあ女性が自由に労働できないという時代性もあるのだが)、などもしっかりと表現されていたように思える。