『007/ゴールドフィンガー』+『スノー・ロワイヤル』+『ベストセラー:編集者パーキンズに捧ぐ』+『ミッドナイト・スペシャル』
●『007/ゴールドフィンガー』
オッドジョブと金箔を塗られた女の死体が代表しているように、007の旧作のなかでもとくにケレン味が強くて、馬鹿馬鹿しくて、ミソジニーもひどい作品(ボンドがボンドガールのプッシー・ガロアを手籠にしたら惚れられちゃう、なんて展開は最低でしょ)。しかし、わたしは007の旧作のなかでは『ゴールドフィンガー』がいちばん好きだ。
なんといっても、ゲルト・フレーベ演じる敵役のゴールドフィンガーがいい。丸々と太って傲慢で鈍重そうな、いかにもな「あくどい社長」な見た目をしている実利主義者っ歩相なキャラのくせに、グランド・スラム計画というトンチキ計画を実行しようとするギャップがいい。ボンドにカードのイカサマを破られたゴルフでイカサマをし返されたり捕まえたと思ったら脱出されて計画を盗み聞きされたり、などなど、散々してやられるのに余裕たっぷりな態度でボンドと対峙しつづけるところも、リアリティとか整合性とかはないんだけど007映画らしい「美学」が伝わってくる。
ハロルド坂田演じるオッドジョブは、高校生時代に友人と007のゲームをしていたときにずっと持ちキャラとして使用していたこともあって、個人的な思い入れが強い。ハットを飛ばしたら石像の首がすっぱりと切断される画面はバカバカしいながらも、昨今の映画ではなかなか見かけないような印象的なシーンである。格闘だけでなくゴールドフィンガーのイカサマの手伝いなどの小細工ができるところもよいし、「力」ではかなわないと悟ったボンドが「知恵」で倒す展開も気が利いている。まあオリエンタリズムの塊なんだけれど。
ボンドガールによるガスの「空中散布」に関するプロットや、グランド・スラム計画を聞かされてワイワイガヤガヤするギャングたち、クライマックスにおけるフォート・ノックスでの展開など、ほかの007映画に比べて印象に残るキャラや場面が際立って多い。BGMもノリがよくて、クライマックスでかかるとワクワクする。
『ロシアより愛をこめて』や『女王陛下の007』のような叙情は皆無である代わりにケレン味と勧善懲悪に特化させたという点で、007ファンでなければいまでも観る価値がある作品は『ゴールドフィンガー』だと思う。なんといっても、ほかでは得られないような鑑賞体験があるからだ。
また、クレイグ版ボンドが『女王陛下の007』をオマージュしたように、次回のボンドでは『ゴールドフィンガー』をオマージュしてほしい。(それこそ「銀」とかレアメタルとかに執着しているキャラなんて面白いんじゃないかしら。ダイヤモンドに執着すると『噓喰い』のヴィンセント・ラロになっちゃうな。)。敵役はベン・アフレックあたりが「あくどいアメリカ人社長」にぴったりだと思う。
●『スノー・ロワイヤル』
リーアム・ニーソン主演の、初期タランティーノやコーエン兄弟風のブラック・ユーモアがあふれる、群像劇風コメディ寄り復讐クライムアクション映画。……とはいえ、冒頭はややマジメ寄りでふつうの復讐譚という趣が強く、キャラが死ぬために「墓碑銘」が表示される演出の意図も最初はよくわからず、そもそも「ブラック・コメディ」な作品であることを理解するまでに時間がかかった。
コメディであることに気が付いたのは、敵の麻薬売買組織の親玉、トム・ベイトマンが演じるバイキングと部下たちのやり取りや、ウィリアム・フォーサイスが演じるウイングマンと主人公のやり取り、そしてトム・ジャクソンが演じる先住民たちによる麻薬組織が登場してから。コメディ要素に関しては基本的にトム・べイトマンの独壇場であり、諸々のクライム映画の悪玉が持つような「こだわり」をパロディ的に強調したキャラクター設定もよいし、子煩悩で息子に添加物が入った食べ物を与えないというくだりもおもしろい。実はゲイであった部下を射殺したらひそかに付き合っていたその恋人に裏切られるという展開もよかった。
そして、トム・べイトマンの息子は実に可愛らしくてできの良い子で好感が抱けるし、「息子を殺した仇の息子」でありながらその子を守るリーアム・ニーソンは、中盤以降は濃いキャラに埋もれそうになるなかで、「主人公」としてほかのキャラたちと一線を画したモラルを持っている点がよい。悪人たちが自業自得で死んでいく様子を眺めて楽しめるブラック・コメディであるからこそ、主人公がモラルを保つというは重要だ。作品がモラルの大事さをわかっているかそうでないかで、後味ってずいぶんちがってくる。リーアム・ニーソンが子どもに除雪車のマニュアルを読み聞かせするシーンは可愛らしいし、「ストックホルム症候群って知ってる?」とメタ的なツッコミを子どもに言わせるところも気が利いている。
また、序盤に登場するウェディング・プランナーの敵役を主人公が射殺するシーンも、画面がおもしろかった。
先住民側の組織はトム・べイトマンのほうに比べるとだいぶ個性は劣るが、インド系の構成員がパシリ扱いされたり、ホテル従業員の言葉尻をとって「差別発言だと騒いで問題にするぞ」と脅したり、クライマックスの撃ち合いに参加せずにハングライダーで遊んでいた構成員が最後の最後で事故で死んだりなど(ここは悪趣味が過ぎるとも思うが)、小ネタがいっぱい利いていて楽しい。出番は少ないけど女子構成員も美人で良かった。
ローラ・ダーン演じる主人公の奥さんをはじめとして、ギャング側の奥さん連中もみんな夫を突き放しており、男同士の殺し合いから距離を取れている。死んだ旦那の墓に唾を吐いたり旦那の金玉を握っても「制裁」がくだることがなく、女性キャラの死人が(たしか)ゼロであるのはちょっと女性にとって都合が良過ぎるもするが、まあ女性観客に対するマーケティングとしては機能しているんだろう。女性警官に関しては主人公と同じく「モラル」を体現する人物であってよかった。
ブラック・コメディでありながら「グロい死に方」が強調されることもほとんどなく、イヤな気持にならずに(中盤以降は)テンポのいい天気や小気味の良いコメディやすれ違いギャグが楽しめる、気楽に見るぶんとしてはなかなかにいい映画。
……とはいえ、タランティーノやコーエン兄弟の作品にあるような「格」はないし、名作という雰囲気もほとんどない。タランティーノやコーエンだったら、物語の開始時点からもっと惹きこまれるような展開や画面をつくるだろうし、前半がダレることもないだろう。
●『ベストセラー:編集者パーキンズに捧ぐ』
アメリカ文学史に残る作家トマス・ウルフをジュード・ロウが演じて、フィッツジェラルドやヘミングウェイも担当した編集者マックス・パーキンズをコリン・ファースが演じる、伝記映画。
「作家と編集者が登場する、アメリカ文学を題材にした映画」といえば先日に観た『ライ麦畑の反逆児』を思い出すが、あちらはサリンジャーを演じるニコラス・ホルトの存在感が編集者のケヴィン・スペイシーに負けていたのに対して、こちらはジュード・ロウとコリン・ファースが対等に並び立っている。……とはいえ、コリン・ファース自身はともかく彼が演じる編集者パーキンズは出番が多いわりにキャラクターが弱くて、トマス・ウルフとの関係性ありきになっていた。肝心のトマス・ウルフもよくいるような「破天荒な天才芸術家」だし。
どちらも奥さんやヒモをさせてもらっている女性を捨てて、作品を完成させるために編集者/作家のほうにかかりっきりになるという点では、ブロマンス的というか同性愛的な作品でもあるだろう。
ストーリーとしては伝記映画らしく退屈なんだけれど、ダレてくるタイミングでガイ・ピアース演じるフィッツジェラルドやドミニク・ウェスト演じるヘミングウェイなどのアメリカ文学のスターたちを登場させてくれるのはうまい。とはいえ、これもわたしは大学時代にアメリカ文学を専攻したからであって、とくにアメリカ文学のファンではない観客にとってはただ退屈な作品なのではないかと思う。
ところで、サリンジャーやフィッツジェラルドとはちがい、すくなくとも現代の日本でトマス・ウルフを読んでいる人はほとんどいないはずだ。アメリカ文学史でも名前は出てくるが読むことを推奨されるほどの作家ではないし、日本だと最近ではせいぜい『天使よ故郷を見よ』が文芸文庫となっているくらいである。たぶん、トマス・ウルフは明確に「終わった」作家なのだ(アメリカ本国での扱いは知らないけれど)。
それをふまえると、彼が「後世にも読まれる作品を書けるか」と悩む一方で、いまでも読まれ続けるフィッツジェラルドが「そんなことより、すこしでも良い文章を書くことのほうが重要だ」と言っているシーンには痛烈なアイロニーを感じた。原題が Geniusであることもけっこうな皮肉だろう。
●『ミッドナイト・スペシャル』
ジェフ・ニコルズ監督による、超能力を持つ子どもをめぐる、SFサスペンス。銃撃戦あり、カーチェイスありとアクションもバッチリだが、エンタメ的な内容ではなく、かといって「文芸的」になるにはSFやアクションが邪魔をしている、ちょっと中途半端なジャンルの映画だ。したがってそこまで面白いわけではないのだが、不思議で独特の魅力はあるし、登場人物たちはみんな実に魅力的(肝心の子どもがマクガフィンと化しているという問題はあるが)。
主人公のマイケル・シャノンは同じジェフ・ニコルズ監督の『テイク・シェルター』と同様に家族を守るための「狂気」を目力で表現しており、そしてただ「幼馴染だから」というだけで死地まで主人公家族と同行するジョエル・エドガートンの「いいやつ」っぷりはとんでもない(彼が『ラビング』で主役に抜擢されたのも納得だ)。いきた
キルティン・ダンスト演じる主人公の奥さんも、なんというか「素朴な田舎の白人女性」まんまという感じだ。
また、「俺の専門は電気技師なんだけれど……」とぼやきながら子どもの誘拐という任務をカルト教祖から命じられてしまったビル・キャンプも、出番は少ないながらもいい味を出している。教祖役のサム・シェパードには貫禄があるし、モブの教団員はみんな田舎の善男善女でありながらどことなく不気味で「カルトっぽさ」が漂っている。カルトの集会にFBIが捜査のために礼儀正しく乗り込む、という導入もシュール。
しかし、なんといっても、アダム・ドライバー演じるNSA職員のポール・セヴィエがべらぼうに魅力的だ。知性的で礼儀正しく素直に真実を見抜く目のある、というキャラクター自体はわりとありがちなんだけれど、これとアダム・ドライバーの顔つきや声色がやたらとマッチしている。
アダム・ドライバーって「素直」な性格をしたキャラを演じることはあまりない気がするけれど、悪いやつとかイヤなやつよりも良いやつの役柄のほうが彼には向いているだろう。存在感もすごくて、画面の端からドアを開けて入ってきた瞬間、その大柄な身体と声色だけでアダム・ドライバーであることがわかっておもわずテンションが上がってしまった。
SF要素のみならず、ほかの面でのストーリー展開においても意図的に「説明」をおこなわない演出は良し悪しといったところ(ビル・キャンプが誘拐直後にFBIに射殺されているであろう点とか、ぼうっとしていると見逃しちゃう)。オチは黒澤清的な思わせぶりでセカイ系風味だが、まあSF要素は「ガワ」であり、子に対する父親の普遍的な愛情、そしてバイブル・ベルトなアメリカ南部の独特な雰囲気を描くことが主眼にあるのだろう。
しかし息子はマクガフィンとなっているためにキャラクター性にとぼしくて、『スノー・ロワイヤル』の男の子のほうがずっと魅力的であるのはどうかと思うけれど……。