ひとこと感想:『オーシャンズ12』&『キューポラのある街』&『カリフォルニア・ドールズ』
●『オーシャンズ12』
タイトルから予想される通り、『オーシャンズ11』の続編。豪華キャストが揃い踏みしているところがウリの作品だ。主人公であるジョージ・クルーニーのイケメンっぷりやブラッド・ピットの二枚目っぷり、当時はまだ若かったマット・デイモンの「青二才」っぷりを楽しめるところがいい。ドン・チードルもわたしのお気に入りだし、ブルース・ウィリスが本人役で登場したりジュリア・ロバーツが”ジュリア・ロバーツの格好を装う偽物”を演じたりするところもしょうもないけどまあ面白い。
ストーリーとしては前作に引き続いてテンポも良くてお洒落だが中身はスッカラカンという感じ。しかし、”あえて"中身のないものにしていることが明白なタイプの作品なので、「そういうものだ」と思って見ることができる。
ただし、「チームもの」としての良さや悪役を出し抜く爽快感が明白であった前作に比べると、今回はストーリー上のトリックや仕掛けが複雑になっているわりにチームものとしての良さが失われており、またボス敵との敵対関係も曖昧なので彼をやっつけたことについても爽快感が欠ける(敵の師匠ポジションの存在とあらかじめ話を合わせておきました、というオチも主人公たちの力による解決という気がしなくてマイナスポイントだ)。ヴァンサン・カッセルが演じる「ナイト・フォックス」は主人公たちと同じ「怪盗」であるのだが、「同じ職種のライバル同士の競争」を楽しめる作劇になっていないのだ(ナイト・フォックスが知略とか策略ではなく驚異的な体術で防犯レーザーをくぐり抜けてしまうシーンはくだらなくて面白かったけれど)。
前作の敵役であったマフィアのボスのアンディ・ガルシアがオーシャンズのもとにやってきて「盗んだ金を返せ」と迫り、それにビビったオーシャンズたちが再び結成して使ってしまった金を返すための獲物を物色する…というストーリーの始まり方も前作の爽快感を台無しにするものではあり、なんとも締まらない。まあ、そもそも前作からして大した"思い入れ"が抱けるようなタイプの作品ではないので、あまり気にならないのだが。
今作で新登場のキャサリン・ゼタ=ジョーンズが演じる女刑事とブラピのラブロマンスも、お洒落なだけのとって付けたようなもの。捕まってピンチになってしまったオーシャンズたちをFBI捜査官に扮したマット・デイモンのお母さんが助けに来てマット・デイモンが恥ずかしがるシーンも、実にしょうもない。でもまあ軽く笑い飛ばしながら気軽に見れる作品である。
●『キューポラのある街』
『「勤労青年」の教養文化史』という本のなかで熱のこもった紹介をされており、なんとも面白そうだったので鑑賞してみたが、感想としては「たしかに本で紹介されている箇所は面白いが、その他の箇所はつまらない」というものだ。
主人公のジュンは吉永小百合が演じており、舞台は鋳物工場が立ち並ぶ1960年代の埼玉県川口市である。ジュンはまともに働かないろくでなしの父親や愚痴っぽい母親に悩まされており、お金がないために修学旅行にも行けず、高校進学も諦めそうになっていた。それでグレかけて夜遊びするようになったら不良学生に襲われそうになったりするなどの大変な目にあったりする。しかし、弟のタカユキ(市川好郎)や担任教師の野田先生(加藤武)に励まされたり、近所に住む朝鮮人一家の娘と交流したりしているうちに、持ち前の前向きさや明るさを取り戻していき、女工になって自活するお金を稼ぎながらも夜間学校で勉学も学ぶ道を選ぶ…というストーリーだ(物語の後半では父親は再就職に成功してジュンを全日制の高校に送ることも可能になったが、それでもジュンは「自分の決めた道だから」と夜間学校を選択するのである)。
高度経済成長期のなかで取り残されている人々を描いているところがポイントであり、ジュンが「貧しいから人間が弱くなるのか、弱いから貧しくなるのか」と独白して問いかけるシーンにはなかなか重たいものがある。組合や「アカ」もストーリーに関わっており、経済と労働がテーマのひとつとなっている作品だ。また、朝鮮人差別や帰還事業についても描かれている(映画が作られたのも1960年代なので、帰還事業に関しては好意的な扱いとなっている)。
『「勤労青年」の教養文化史』でも紹介されていた、野田先生のセリフは実に感動的なものだ。
生意気なことを言うもんじゃないよ。受験勉強だけが勉強だと思ったら大間違い。高校へ行かなくても勉強はしなくちゃいかんのだ。いいかジュン、働いてでも何をやってでもだな、そのなかから何かをつかんで理解して、付け焼き刃でない自分の意見を持つ。そいつを積み重ねていくのが、ほんとうの勉強なんだ。
ジュンによる「(定時制には)昼間にはないような凄く頑張り屋でいかす人がいるわよ」「たとえ勉強する時間は少なくても、働くことが別の意味の勉強になると思うの。いろんなこと、社会のことや何だとか」というセリフも素敵である。また、ジュンが勤めだした工場にて、女工たちが「手のひらの唄」を合唱するシーンもいい意味での昭和らしさが感じられてポジティブな気持ちになれる。
しかし、常に酔っ払っているジュンの父親のセリフが聞き取りづらかったり、ジュンがグレかけている間のネガティブでローテンションで面白みのないシーンが長かったり、ジュンと弟の関係性が昭和のアニメみたいなそれでリアリティを全く感じなかったりと、映画としてみていてつまらない要素が多い。よいシーンやよいセリフはよいのだが、そうじゃない場面が長過ぎる、といった感じの作品である。
川口市のまさに人工的な工場街、という感じの風景は良かった。しかし、街の描き方の細やかさや子供の描き方の活き活きさに関しては、同じく「高度経済成長に取り残された人々」を描いた『泥の河』の方に軍杯が上がるといえよう。
(ところで、この記事を書いているときに調べていて思い出したのだけれど、山田洋次の『学校』って「定時制高校」ではなく「夜間中学」の話だったのね)。
●『カリフォルニア・ドールズ』
ピーター・フォーク目当てに見始めたが、美人女子レスラーのタッグを演じるヴィッキー・フレデリックとローレン・ランドンがどちらも素敵だ。ピチピチのレオタードを履いてきわどい角度からレスリングシーンを映したり上半身も露わに泥にまみれさせてキャットファイトをさせたりと、1980年代らしいセクハラ感が溢れる諸々のシーンは良し悪しである。
ストーリーも王道ながらけっこう感動的であるし、ピーター・フォークと女子レスターたちの師弟関係半分恋愛関係半分なカロリーの高い人間関係も悪くない(かなり男性中心主義的な描かれ方をしているし、現代の作品では描いてしまうと失笑を買われたり批判されたりするようなものであるが)。ケレン味やけばけばしさや汗臭さに溢れたプロレスシーンと、落ち着いた自然のなかを移動するシーンとの対比も印象に残る。
しかし、ロードムービーに付き物の単調さが全面に出ていて、わたしは見ていてけっこうダルかった(ロードムービーを見るたびに思うが、過大評価されたジャンルであると思う)。そして、クライマックスでわちゃわちゃしたレスリングシーンがダラダラと続くところもキツい。不公正な審判のせいもあって負けてしまった前回の試合のリベンジマッチという盛り上がるはずの展開なのだが、1980年代の映画であるためにレスリングの撮影の仕方などには現代映画にあるような工夫はなく、ただ映しているだけである。それが10分とか20分とか続くのだからなかなかしんどかった(映画の展開的に、結果も決まりきっているんだし)。こう考えると『ロッキー』のボクシングシーンってちゃんと盛り上がるようになっていて偉いんだなと思った。
『こわれゆく女』ではなかなかの演技を見せていたピーター・フォークも、この映画のなかだと仕事を変えて女子プロレスのマネージャーになった刑事コロンボ、という感じにしか見えない。とぼけた顔の演技がワンパターンなのが問題なのだろう。一方で、敵役である黒人女子レスラーとそのマネージャーはなかなかいいキャラをしていた。日本人レスラーとその日本人マネージャーも出てくるが、こちらは日米の貿易摩擦が激しかった80年代という時代背景もあってわりと露骨というか差別的に描かれている感じはする(それはそれとして日本人の女子レスラーもなかなかセクシーではあったが)。