THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『マインドハンター』

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 1960年代末〜1970年代初頭を舞台にして、猟奇殺人者や連続殺人鬼たちの「プロファイリング」を行うFBI行動科学班の黎明期や創設当初を描くドラマ。半年以上前にシーズン1の途中まで観て中断していたのだが、再開するとシーズン2の最終話までのめり込んで観ることができた。

 

 設定からついつい「ミステリー」作品だと思ってしまいがちだが、正体不明の犯人をプロファイリングで捜査して特定する、という展開が出てくるのは各シーズンでほとんど一度だけ(シーズン2の終盤は「捜査」パートが主となるけれど)。それよりも、エド・ケンパーやチャールズ・マンソンや「サムの息子」に「キャンディ・マン」といった名だたる殺人鬼たちとの緊張感あふれる面会シーン、そして行動科学班が殺人者たちに関するプロファイルの「理論」を徐々に成立させていく過程のほうが見ものとなっている。

 

 つまり、この作品は「刑事ドラマ」というよりも「お仕事ドラマ」に近い。才能と個性に溢れる人物たちが、それまでに存在しない職種をゼロから手探りで築いていく過程が、とくに前半における『マインドハンター』の面白さだ。そのために、上層部の無理解や予算の不足などでやるべきことができないというもどかしいシーンもあるし、そのなかで成果を出しつつ徐々に認められていくというサクセスストーリーの要素もある。心理学などのアカデミズムが必要とされる場面も心憎いし、部屋の狭さや備品といったものに関する他愛のないやりとりは実に地に足がついている感じがする。

 この「地に足がついている」というところもポイントで、題材が題材なだけに常に不穏な雰囲気(とBGM)が漂っていながらも、直接的な犯行シーンや血や死体といったグロテスクなものが描かれることはほとんどない(ほとんどのエピソードの冒頭で思わせぶりに登場する「BTKキラー」のシーンについても、彼の犯行の直前や事後の場面が描かれても、犯行そのものは描かれないのだ)。ほとんどの視聴者は当初はグロテスクシーンや猟奇的なシーンへの好奇心に駆られて見始めるだろうから、戸惑ってしまうところである。

 

 しかし、「お仕事ドラマ」としての『マインドハンター』は実に面白い。その魅力の大半は、レギュラーメンバー三人のキャラクター性と彼らを演じる俳優のおかげであるだろう。

 主人公であるホールデン・フォード(ジョナサン・グロフ)は、現代ならネットで連続殺人鬼の紹介サイトでも立ち上げていそうな「殺人鬼オタク」そのものだ。本人も人を殺していそうな冷たく暗い顔をしているのでシーズン1の時点では不気味さも漂うが、段々とオタクとしての本性が露わになっていき、それに伴い視聴者も彼に好感を抱けるようになる。チャールズ・マンソンに会えるとなったときのミーハー的な喜び用は可愛らしいし、パーティーでも周りの反応を気にせずに自身のプロファイリング理論を語り続けてしまう「空気の読めなさ」はまさにオタクそのもの。自己中心的で人の心がわからないために周囲からも嫌われることが多いが、それについて本人はとくに気にせずに淡々と自分の理論の完成を目指す姿にはヒーロー性もある。この欠点と魅力が表裏一体となった複雑なキャラクター性の描き方は、尺の長いドラマでないとできないものであるだろう。

 ホールデンの相棒となるビル・テンチ(ホルト・マッキャラニー)は、両津勘吉のごとき角刈りが似合う、昔ながらの「刑事」といったキャラクターだ。ホールデンに振り回されたり呆れたりしながらも常識人として面会を補助したり渉外を担当する彼のキャラクターは、比較的ありがちでながら、安心感がある。シーズン2における「養子にとった息子に犯罪性向があるかもしれない」ということで苦悩したり妻との関係が冷めたりするくだりはかなりどうでもよかったけれど……*1

 アカデミシャンとしてFBI行動科学班に協力するウェンディ・カー博士(アナ・トーヴ)も、現場における実用的な技術としてのプロファイリングを追求するホールデンやビルを相対化する立場として存在感を放っている。三人がそれぞれの価値観や考え方に基づきながら意見を出しあってプロファイリング理論を洗練させていく流れにはワクワク感があるし、当初は博士らしく「頭でっかち」であったウェンディの考えが徐々に柔軟になり、それに伴って人間味と魅力が増していく展開もうまい。彼女が同性愛者であるという要素も、当時の時代性のために公にできないという苦悩が表現されるという点で作品内で描かれる意義が明確であるし(ホールデンやビルですら無理解であろうことは察しがつく)、チームメイトたちに秘密を抱えざるをえない彼女であるからこそバーテンダーの女性との恋愛も応援したくなってしまう。子供っぽい性格のホールデンが「かすがい」となってビルと盟友的な関係になるくだりもリアリティがあってよい。

 

 いまいち見せ場がなくて気の毒な立ち位置になっている四人目の行動科学班員である信心深くてクソ真面目なグレッグ・スミス(ジョー・タト)、野心家のボスであるテッド・ガン(マイケル・サーヴェリス)、アトランタでの面会と捜査を積極的に補助してくれるジム・バーニー(アルバート・ジョーンズ)など、サブキャラクターも個性がはっきりしていて魅力的だ。

 

 そして、「プロファイリング」を題材としていながら、それを万能のものとして描かず、曖昧さの残る不確かな理論として描くところには、この作品の誠実性や知性があらわれているだろう。そのために「影に隠れる犯人の秘密を暴いて逮捕してスッキリ解決」というミステリーや刑事ものとしての定番の面白さは失われているが、「ほんとうに彼が犯人だったのか?」「結局のところ犯人が抱えていた心理とはなんだったのか?」という謎やモヤモヤ感が残り続けることで、独特の視聴感が抱けるのである。

 特にシーズン2の最後で、黒人少年連続殺人事件について「連続殺人鬼は自分と同じ人種しかターゲットにしない」という理論に基づいてホールデンがかたくなに「犯人はKKKではなく黒人だ」と主張し続けるくだり、そして実際に最終的に黒人男性を逮捕するくだりは複雑で面白い。わたしも最初に見たときは「ほんとうにこいつが犯人なのか?」と疑ってしまった(その後に実際の事件に関する事実などを調べると、捕まった人が犯人でほぼ間違いないようだけれど)。「プロファイリング理論の"人種差別性"を糾弾する」といったポリコレ的なお行儀の良い描写だともとらえられるが、そうではなく、現地の行政や被害者遺族が政治的発想や個人的感情のために真犯人をとらえられないなか、ただひとりホールデンだけが科学に基づいて真実を直視しているのに、それが周りから理解されずにせっかく犯人を捕まえても恨み言を浴びせられてしまう世知辛い描写……といった風に捉えることもできる。この曖昧さや清濁が混同している世界観は、映画や小説でもなかなかお目にかかることのできない、かなり独特で高次元のものだ。

 

*1:同じテーマを扱った『ジェイコブを守るため』を観た後なので、中途半端にしか触れられないテンチ家のエピソードがやたらとつまらなく感じた。

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