THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『パドルトン』

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  マイケル(マーク・デュプラス)とアンディ(レイ・ロマーノ)は同じアパートメントに住む中年男性たちであり、互いに独身で恋人も友人も他にいないことから仲良くなって、閉鎖されたドライブインシアターまで行って二人でパドルトン(二人が考案した壁打ちテニスの亜種ゲームで、設置した樽にボールが入ったら点数が入る)をすることがいつもの日課だ。しかし、ある日、マイケルが胃ガンを患っていることが判明する。闘病生活はできないと悟ったマイケルは安楽死を望み、やり残したことを一緒にやってくれるようにアンディに頼む。

 最初はアパートで一緒にカンフー映画を観たりピザを作ったりしていた二人だが、安楽死の薬を買うための目的で、二人はちょっとした旅に出る。道中でホテルの管理人のおばさんに同性愛者と間違われたり誘惑されたりバーでカンフーごっこを披露したりとちょっとしたイベントが発生しつつ、マイケルの安楽死薬をアンディが金庫に隠してしまうことによるトラブルも発生する。

 アパートに帰ってからしばらくするとマイケルの症状が悪化し、ついに死期が迫っていることを直視させられる。それでもいつも通りの日常を送っていた二人だが、やがてマイケルは安楽死の薬を飲むことを決心する。アンディはマイケルのそばで彼の死を見届ける。後日、マイケルが住んでいた空き部屋に親子が引っ越してくることになり、アンディは彼らの引っ越しを手伝いつつ自分たちが考案したパドルトンのことを子どもに伝えるのであった…。

 

 派手なイベントは起こらず、淡々として地味な筆致で二人の中年男性の微妙な関係性や距離感や友情を映しつつ、「死」や「喪失」を描写する……といったテイの、典型的なミニシアター的ヒューマンドラマ作品だ。主人公にガンで死期が迫っているという設定、そして男二人の友情がフィーチャーされているという点では、『50/50』を思い出した。

『50/50』は若者の話であったために、主人公の友人はすぐに物事をジョークにしようとしたり相手に対する配慮が欠けているなどの欠点が目立った。それに比べると、良くも悪くも落ち着いてトゲも活気も抜けきっている中年男性たちが主人公である本作は、二人のお互いに対する思いやりは配慮が伝わってきて心が温まる。いわゆる「男性同士の相互ケア」が実現できている関係性だ。こういう関係性は30代であるわたしにはちょっと想像しづらいのだが、年をとったらこういうものも有り得るかもしれないと思うし、やはりフィクション的な理想に過ぎず実際はもっとお互いに対する配慮が欠けた関係性しか存在しないのかなとも思う。マイケルとアンディを見ていると、あきらめであったり、お互いに面白さや興奮を追求しないところが秘訣なのかなという気もする。

 

 いかにも「良作」「隠れた名作」という雰囲気が漂う映画ではあるが、ちょっと淡々とし過ぎで、わたしはあまりハマれなかった。冒頭はおかしさやコメディっぽさも漂わせているが、中盤以降はその感じも少なくなり、より地味で暗い内容になっていく。それに、このテの作品には地味ながらも印象に残るセリフやキャラクターや展開をどこかで配置するものではあるが、この映画にはそういうところが見られない。マイケルとアンディのセリフは台本に書かれていたものではなく役者たちが即興で考えたものらしいが、そのために自然さが演出できていたとはいえ物語としての作り込みや完成度が損なわれたようにも思える*1。また、脇役の出番があまりにも少なさ過ぎでずっとマイケルとアンディが出ずっぱりであるところも、ダレや飽きを生じさせてしまう。

 

「男二人の友情」を描きながらも同性愛なり女性の拒絶なりの描写はほとんど出さず、余計なジェンダー論的メッセージのないさっぱりとした作品になっていることは間違いない。しかし、「自然さ」を犠牲にしてでももう少し作り込みをしてくれた方が、マイケルの死やそのあとのアンディの喪失感がもっと伝わってる作品になっていただろう。