THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『プーと大人になった僕』

 

プーと大人になった僕 (字幕版)

プーと大人になった僕 (字幕版)

  • 発売日: 2018/12/05
  • メディア: Prime Video
 

 

 子どもの頃に100エーカーの森でぬいぐるみのくまのプーやそのほかの面々と遊んでいたクリストファー・ロビンユアン・マクレガー)は、大人になって妻のイヴリン(ヘイリー・アトウェル)と結婚して娘のマデリーンが誕生したりしているうちに、すっかりワーカーホリックとなって休日も家族との時間を持てずに会社の仕事をしなければいけないようになった。また、プーがいつも言っていた「何もしないこと」の良さも忘れて、あまつさえはプーの存在自体をすっかり忘却してしまう。しかし、会社の仕事のために妻と娘との休日の予定もキャンセルをした週末には家族関係も破局の一歩手前となり、会社の仕事自体もうまくいかず、困り果てて最悪の状態となったクリストファー・ロビンのまえに、数十年ぶりにプーがあらわれて…。

 

「何もしないこと」の良さを強調するわりに、その「何もしないこと」自体が新しいビジネスアイデアに結びついてクリストファー・ロビンがキャリア上の危機から救われるきっかけとなる、というオチは賛否両論だろう。実際にクリストファー・ロビンが妻子を養う立場になってしまった以上、仕事や労働や資本主義そのものを否定することはできないわけだから、現実的な問題としてはこういうオチに着地せざるを得ない。とはいえ、このオチ自体が、「何もしないこと」の良さを強調する作品のメッセージを損なってしまう、という自壊的な構造となっている。というか、家庭を持ってしまった大人はぬいぐるみ遊びに構っていられないのだから、プーたちの存在は結局は一時的な逃避や休息としての役割しか持てないのだ。ずっとプーたちと遊んでしまったら主人公は廃人となってしまう。考えてみると世知辛くてもの悲しい話である。

 

 アニメ版に比べてぬいぐるみとしての要素がずっと強調されているプーには太った猫のような可愛らしさがある。クリストファー・ロビンと再会した直後はいらんことをしまくってかなりの迷惑をかけてしまうし、いくら問題点や欠点を指摘されても悪びれない様子のプーに最初はちょっとイラっとするところがあるとはいえ、クリストファー・ロビンが本格的にプーを罵倒するシーンはかなり悲しくなってしまった。一方で、イーヨーやティガーなどの他のぬいぐるみたちは可愛らしさよりもウザさの方が勝っていることは否めない。

 とはいえ、喋るぬいぐるみであるプーたちがロンドンの街で冒険するシーンは、活劇として普通に面白い。観る前には「主人公とその家族にしかプーたちの存在が見えないのかな」とぼんやり考えていたのだが、普通に一般市民にもプーたちの存在が見えてしまうので、それによって引き起こされるドタバタがテンプレ的なものであるとはいえユーモラスで悪くないのだ。作中のリアリティレベルがいい意味でガバガバなのである。

 また、クリストファー・ロビンを演じるユアン・マクレガーも、その奥さんを演じるヘンリー・アトウェルも、どちらのキャスティングも良かった。特にヘンリー・アトウェルは時代設定の問題もあって『キャプテン・アメリカ』のヒロインであるペギー・カーターのイメージがそのまま残ってしまっていたが、こういう昔気質な世界において旦那を尻にしく女房という役柄がぴったりな女優である。