『シンデレラ』+『ワインは期待と現実の味』+『ボーダー 二つの世界』+『ラスト・アクション・ヒーロー』+『セルラー』+『女王陛下の007』
●『シンデレラ』
ノリの良さとお気軽さに振り切った、バカバカしいけど楽しい感じのミュージカル作品。ファンタジー世界でありながらジャネット・ジャクソンやクイーンやマドンナなどのロックミュージックが堂々と流れるし、登場人物たちは服も肌の色もカラフルで血色も良くてノリもやたらと現代的だ。
とはいえ、ノリが軽いのはいいけれど、楽曲もダンスもゆるくてイマイチ記憶に残らないのは困りもの。『ラ・ラ・ランド』どころか『イン・ザ・ハイツ』にもずっと踊っている。登場人物たちも、イディナ・メンゼル演じる継母とビリー・ポーター演じるファビュラス・ゴッドマザーは魅力的だし、 タッラー・グリーヴ演じるグウェン皇女も可愛らしいが、肝心のシンデレラ(カミラ・カペロ)と王子(ニコラス・ガリツィン)が役者の問題のために全く存在感がなく魅力に欠けている。特にシンデレラは魔法に変えられて変身した後にも髪型が重たく野暮ったいままで、せっかく彼女がデザインを考えた設定のドレスも無駄になっている(ところで主人公たちがラテン系というところも、ヒロインが服装デザイナーというところも、『イン・ザ・ハイツ』と被っているな)。
●『ワインは期待と現実の味』
だいぶ前に観た映画だけど忘れないうちに感想をメモしておく。
ワインソムリエを目指す黒人青年が主人公の話だが、邦題通りに「現実」がのしかかる、サクセスストーリーとまではいかないほろ苦いストーリーだ。そもそもソムリエ試験は現実でもべらぼうに難しいものなので、周囲の協力もそこまで得られていない主人公が成功しないという展開にはリアリティがある。また、ブラック・ムービーであるということから、安直なサクセスストーリーやファンタジーではなく「現実」の厳しさや重苦しさを描かなければ、という問題意識みたいなものもあるだろう。白人によるハイカルチャーでハイセンスな「ワイン」とローカルチャーで土着的で黒人文化に根ざした「バーベキュー」という対比もいいし、その二つが安直に和解しないところも逆に新鮮だ。
ま、とはいえ、映画としてはあまり面白くなかった。
●『ボーダー 二つの世界』
同じく、だいぶ前に観た映画。同じ原作者による『ぼくのエリ 200歳の少女』はかなり好きな映画であるから期待していたのだが、こちらはダメだった。
ルッキズムなりセクシズムなりを否定するという問題意識を前提としているようであり、主人公や相手型の男性の造形をわざと醜くして、醜い二人による目を背けたくなるような性交シーンを描いて、他にも視覚的にグロいシーンがいくつか登場する。というわけで観客の不快感や生理的嫌悪感を刺激することについては並のホラー映画よりもずっと性交しているが、それが作品の面白さにつながっているかどうかは別の話。そして、「ルッキズムなりセクシズムなりを否定するという問題意識」という高尚なお題目が露骨であるために、不快であるだけでなく偉そうでうざったらしい作品でもあった。いかにも批評家が好みそうな作品であるというか、批評的な人を狙い撃ちにした作品であるんだろうけれど、まんまと狙い通りに撃たれてしまう批評家に存在価値ってあるのかと思ってしまう。
オースティン・オブライエン演じる主人公の少年がひょんなことから手に入れた「魔法のチケット」の力によりアーノルド・シュワルツェネッガー主演のアクションヒーロー映画、「ジャック・スレイター」の世界に入り込み、ジャックと交流を深めるも、今度は「魔法のチケット」を手にした映画世界の悪役のほうが現実世界に出てきてしまって…。
小学生の時に観て以来なのでなつかしくなってNetflixで見かけたときに20年以上ぶりに視聴してみたのだが、改めて見ると『フリー・ガイ』と共通するところが多い作品だ(実際に、脚本などのスタッフが一部共通しているらしい)。『フリー・ガイ』と比べると時代的な制約もあってかメタフィクションや「物語」をテーマにした作品としての作り込みはかなり甘く、無難な「映画あるあるネタ」やパロディネタとカメオ出演に終始している感は否めない。しかし、美女しか存在しないロサンゼルスの世界で気軽に女性をゲットできていたジャック・スレーターが現実世界にきて「はじめて女性とじっくりと話せた」と喜んだり、初めて聴いたクラシック音楽に感慨を抱くシーンなどにはなかなかの批評性が感じられて印象的。前半における「ジャック・スレイター」世界の描写はそこそこで済ませて、彼が現実世界を訪れてからの変化などに尺を割いた方が作品としてのクオリティは高くなっていたかもしれない。
せっかく悪役が「魔法のチケット」を悪用して他の映画世界から応援を頼むのに、追加されるヴィランは悪役と同じく「ジャック・スレーター」シリーズからのキャラクター、つまり映画内映画のキャラクターであるというところはがっかりというか物足りない。ここはファンタジーやホラーなどの作風や世界観がまったく異なる映画から呼び出したうえで「アクション・ヒーロー」と対峙させるべきだろう。悪役が口にしていた通りキング・コングやドラキュラでも呼び出してほしかったところ(最後に『第七の封印』から抜け出してきた死神が訪れるシーンには緊張感があるけれど)。ジャック・スレイターとアーノルド・シュワルツェネッガーの対面シーンも短くて充分ではない。とはいえ、主人公の少年の成長や活躍も描かなければいけないという点も考慮すると、尺が足りないという問題もわかるんだけれど……。
『フリー・ガイ』もよかったけれど、この映画そのものを現代風にリメイクしてもかなり面白くなりそうなところだ。ただし、アーノルド・シュワルツェネッガーに比肩するほどの存在感とカリスマ性のあるアクション俳優が存在しない、というところが最大のネックとなるだろうか(昔に比べると、現代はアクション俳優が乱立している時代だ)。ジェイソン・ステイサムはちょっと親近感が抱けなさすぎるので、ドウェイン・ジョンソンあたりが落としどころになるだろうか。
●『セルラー』
キム・ベイシンガーが主役っぽく見えるパッケージだけれど、どう考えてもクリス・エヴァンスのほうが主役。たまたま自分にかかってきた発信元不明の謎の電話で「監禁されているの」と助けを求める女性のことを最初は疑うがすぐに信じてしまい、彼女を助けるために身体を張ってジェイソン・ステイサム率いる悪徳警官グループと戦う栗エヴァの姿にはキャプテン・アメリカの片鱗がうかがえる。とはいえキャプテン・アメリカとは真逆の「アホで陽気な体育会系大学生」というキャラ付けであるところも面白いところ。
導入部分は個性的で面白いが、中盤からはありきたりのチープなアクション映画でしかない。とはいえ主人公と彼に協力する善玉警官(ウィリアム・H・メイシー)の「善性」は一貫していることや、悪者をやっつけてスッキリと終わる展開のおかげで、爽やかで後味の良い作品となっている。
●『女王陛下の007』
『ロシアより愛をこめて』に続いて、007シリーズのなかでも評判の良い作品。初期作品にしてはSF要素が控えめでリアリティが高く、またヒロインが魅力的でラブロマンス要素が強調されている、というあたりが共通しているだろうか。
事件がひと段落した後の結婚式、そしてその後に続くエンディングはたしかに哀しく印象的であり、名作との評価はわからないでもない。雪山でのアクションは当時にしては珍しく独創的であったことはうかがえるし、追われているなかアイススケート場でバッタリと再会したヒロインに助けてもらうところもなんだかロマンティック。
しかし、いかんせん長過ぎるし、アクションシーンは『ロシアより愛をこめて』と同じくダラダラし過ぎており令和の観客にとって耐えられるようなものではない。どう考えても2時間半は必要なく、削るべきところを削りまくって1時間半にしてくれたほうが、途中で飽きやダレを感じずにエンディングの余韻を味わえただろう。
ジョージ・レーゼンビー演じるジェームズ・ボンドはショーン・コネリーやダニエル・クレイグに比べて甘っちょろさやナイーブさが際立っているが、『女王陛下の007』のロマンティックな作品性とはマッチしている。とはいえ、この作風にするなら、ジェームズ・ボンドの「女たらし」という設定が足枷になってしまうのだけれど…。