THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ワンダーウーマン1984』

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 劇場に映画を観に行ったのは黒沢清監督の『スパイの妻』以来で、およそ二ヶ月ぶり*1

 

 わたしはマーベル映画のなかでは『キャプテン・マーベル』がいちばん嫌いなのだが*2、逆に、この映画の前作の『ワンダーウーマン』はDC映画のなかでもいちばん好きな作品である*3。『キャプテン・マーベル』が近年の「シスターフッド」的なフェミニズムの風潮に寄せまくった作品であるのに比べて、『ワンダーウーマン』はあくまで主人公のダイアナ(ガル・ガドット)とスティーヴ(クリス・パイン)との「異性愛」のラブロマンスが話の軸となる、王道的な構成であるところがよい。前作でも今作でも、ヒロインであるダイアナの方が強靭な超人でありスティーヴの方はただの一般人なので、「守る/守られる」立場が逆転したり女性ではなく男性の方が自己犠牲するなどの伝統的な性役割を逆転させた描かれ方がされてはいるのだが、それは表面的なものだ。ダイアナは母性的であったり感情的であったりと「女性性」が強調されたヒーローであり、だからこそ、他のヒーローたちでは描けられないような物語が『ワンダーウーマン』シリーズでは描かれることになる。ある意味では他のヒーロー映画に比べてもずっと「保守的」なシリーズであるのだが、先進的な連中の言うことを気にした映画ばかりになると多様性が失われてつまらなくなるというものだ。

 

 そして、アメコミ映画の新作を劇場で観ること自体が『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』以来でおよそ一年半ぶり、アクション映画という括りでみても『テネット』以来の三ヶ月ぶりということがあって、なかなか久しぶりの感覚を味わえた点がよかった。特に、冒頭で描かれるアマゾンの島における子供時代のダイアナが競技に参加するシーンは、美しい建造物や自然風景の映像とテンポの良いアクションにハンス・ジマーによる感動的な音楽が合わさって、かなりワクワクしたものだ。

 

 とはいえ、1984年を舞台に繰り広げられる本編のストーリーは、まあ、お世辞にも「出来がいい」とはいえない。はっきり言うと「雑」であった。

 雑さの感じでいえば同じDC映画の『シャザム!』がいちばん近いが、あちらはヒーロー映画やアクション映画であることよりも「ジュブナイル映画」であるという側面が強く、主人公たち自体も子供であることから展開や設定の雑さは「そういうものだ」として見過ごすことができたけれど、主人公が生真面目な大人の女性であるワンダーウーマンであんまり雑な展開をやられるとちょっと厳しいものがある。

 終盤には悪役であるマックスウェル・ロード(ペドロ・パスカル)のせいで世界中の人々の生活に甚大な影響が生じてめちゃくちゃになってしまい、世界文明が崩壊スレスレの危機に瀕するのだが、この問題はクライマックスでダイアナがちょっとした機転を利かしたおかげであっという間に片が付いてしまう。冷戦自体を舞台にしていて核戦争の危機が登場するというアメコミ映画という点では『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』と共通しているが、あちらがキューバ危機を物語の展開にうまく組み合わせながらシリアスに描いていたのに対して、こちらにおける核ミサイルの扱いはかなり適当なものだ。また、「さすがに世界がめちゃくちゃになり過ぎて、この世界観で生きる人々も超常現象の存在を認識するようになって『スーパーマン』や『ジャスティス・リーグ』との整合性が取れなくなるから、人々の記憶から今回の事件に関することは丸々失われるという展開が最後にあるのかな」と思っていたら全くそんなことなく、とんでもない事態が起こったというのに人々は大して気にせずに堂々と元の生活に復活する、という面の皮の厚さもすごい(『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』が「エンドゲーム後の世界」をがんばって描いていたのが気の毒になるくらいだ)。

 とはいえ、『ワンダーウーマン1984』の物語自体が「猿の手」を下敷きにした寓話的なものであることを考えると、物語の整合性とか結末のご都合主義などをあまり突っ込むのは野暮というところもある。

 

 実際、クオリティが高い作品ではないしエキサイティングな作品であるともいえないが、クライマックスになって満を辞して投入されるマックスウェル・ロードの過去回想シーンのとんでもないショボさとか、あれだけ強欲であったマックスウェル・ロードが改心するに至る過程の説得力のなさとか、クライマックス後のクリスマスの街並みシーンにおける「終わりよければ全てヨシ」的な能天気なポジティブさなど、妙にズレているところが多くて愛らしい作品ではある*4

 マックスウェル・ロード、およびバーバラ・ミネルバクリステン・ウィグ)という悪役二名はどちらもかなり小物な人物であり、身の丈に合わないパワーを手にしてしまったことで自滅にいたるわけだが、彼らの動機や性格などの描き方は「人間っぽさ」を演出することに成功しており、好感が抱けた。ダイアナが叶えたかった「望み」の描き方、そして世界の平和のためにその「望み」を捨てる決断をするシーンの演出もかなり良い。

 前作ではアマゾンの島にずっと暮らしていたダイアナにスティーブが20世紀初頭のロンドンを案内する『ローマの休日』的なシーンが描かれていたが、今回は立場が逆転して、黄泉の世界から蘇ったスティーヴに1984年のアメリカをダイアナが案内する、という一連のシーンも素晴らしかった。また、特に冒頭のショッピングモールのシーンが顕著だが、「1980年代のアメリカ映画」を意図的に再現する演出も気が利いていてワクワクした(終盤絵でちらっと映る渋谷の景色がどう見ても2010年代のものであることはご愛嬌だ)。

 とはいえ、たとえば前作で第一次世界大戦の戦線をダイアナが突っ切るシーンのような、「実際の歴史のなかにヒーローが登場する」という設定でないとできないような印象的で感動的なシーンがあるわけではない。

 

 久しぶりのアメコミ映画であるのだからもっと完成度が高くて素直に楽しめる作品を見たかったところではあるし、そういう点では期待はずれな感も強いが、まあ「憎めない」作品ではある、といった感じ。ただし、『シャザム!』といい『アクアマン』といい、最近のDC映画は観客側の好意に甘えて作品を洗練させる努力を怠っているフシが強いとは思う。次作以降はもうすこし真面目に作ってほしい。

 

関連記事:

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*1:『スパイの妻』は悪い映画ではなかったのだが、映画好きの人たちが騒いでいるほどの素晴らしい映画であるとも思えず、感想を書く気分にも特になれなかった。

*2:

theeigadiary.hatenablog.com

*3:ダークナイト』はDC映画というよりかはノーラン監督の個人作品という趣が強いから別枠として扱う。

theeigadiary.hatenablog.com

*4:アメコミ映画にしてもめずらしく「誰も死なない作品」であり、その点が後味の良さにつながっている……と思ったが、そういえば、ミネルバに絡んだ酔っぱらいの男はけっきょく死んでしまったのだろうか?そうだとすると、他の悪役たちには明確な「罰」が下っていないことを考えると、ちょっと気の毒だ。