THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』

 

アベンジャーズ/エンドゲーム(字幕版)

アベンジャーズ/エンドゲーム(字幕版)

  • 発売日: 2019/09/04
  • メディア: Prime Video
 

 

 2008公開の『アイアンマン』から2019年公開の『キャプテン・マーベル』まで、11年かけて20作品以上作成された「インフィニティ・サーガ」と称されるMCU映画の総集編的な作品だ。また、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の直接的な続編である。

『インフィニティ・ウォー』の続編ではあるが、「前編/後編」という作り方ではなく、作風や構成はガラッと変えられている。単独の映画としての完成度は『インフィニティ・ウォー』に軍杯が上がる代わりに、こちらは総決算的な作品なだけあってこれまでMCU作品を観続けてきた観客に対するファンサービスが豊富な作品となっている。とはいえ、序盤における衝撃的なボス敵撃破シーンとその直後の大胆な時間経過や、『アベンジャーズ』以前の作品から登場していたメイン格の登場人物うちの二人が死亡して一人が永久引退するという展開が描かれているなど、意外性やドラマ性も充分に存在する作品だ。

 ただし、敵役であるサノス(ジョシュ・ブローリン)の描写は『インフィニティ・ウォー』でやりきったところもあり、今作では完全にやられ役の小者なボス的に成り下がっている。前作ではそれなりに描写が豊富であった中ボス4人組の扱いもひどいものだ。今作では敵役は味方陣営オールスターズを引き立てるための舞台装置としての役割しか与えられていないのでしょうがないところではあるのだが、敵役の描写が薄いために最終局面での総力戦も戦いの規模の割には大味で印象の薄いものとなっているフシがあり、もうちょっとバトル描写にも力を入れてくれればいいのにとは思った(この敵役描写やバトル描写のおざなりさという問題はMCU映画やアメコミ映画全般につきまとう問題ではある)。

 味方陣営のキャラクター描写としては、MCU第一作の主人公であるトニー・スターク=アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)はオープニングでもクライマックスでも破格の扱いとなっているし、アイアンマンと同格の存在であるスティーブン・ロジャース=キャプテン・アメリカクリス・エヴァンス)も前作での扱いが不遇だったぶん今作では大活躍する。一方でソー(クリス・ヘムズワース)の扱いはあまり良くないが、彼は前作やその直前の『マイティ・ソー/バトルロイヤル』で抜群の待遇を受けていたのだから、今作では描写を控えめにするのがバランス感覚というものだろう。また、アル中になったり肥満になったり母親の前で泣いたりなどと「弱さ」をさらけだすソーの描写は、単純に活躍するだけの他ヒーローたちよりも観客の印象に深く残るところがある(某ヒーローの死亡描写やキャプテン・アメリカの「老い」描写も同様だ)。

「ビッグ3」以外の面々については、これまでにもアベンジャーズの中核として活躍してきたナターシャ・ロマノフ=ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)の「自分にはアベンジャーズしか居場所がない」という心持ちがついに明らかにされて、そしてそれが彼女の悲劇的な選択につながるという描写にドラマ性を感じた(ブラック・ウィドウは『エンドゲーム』の時点では単独主演作品が公開されていなかったからこそ、MCUの各作品を追っていなければ彼女の心境やキャラクターとしての重要性を理解することができない、という観客に要求する負荷がなかなか高いキャラクターである)。また、『インフィニティ・ウォー』に参戦する機会のなかったスコット・ラング=アントマンポール・ラッド)はコメディリリーフとしてかなりおいしい立ち位置にいるし、クリント・バートン=ホークアイジェレミー・レナー)にもそれなりの見せ場が用意されている。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ二作でも「外様」な立場であったネビュラ(カレン・ギラン)がアイアンマンをはじめとしたアベンジャーズとの交流によって人間性を開花させる描写も感慨深いものだ。

 満を辞しての全作品のキャラクターが最終局面に参戦するシーンは、もちろん熱い。各キャラクターの活躍描写の描き方やちょっとしたセリフなどにもこれまでのMCU作品の諸々の要素がオマージュ的に配置されていて、まさにファンサービスという感じだ。一方で、『エイジ・オブ・ウルトロン』や『インフィニティ・ウォー』でも出し惜しみされていたキャプテン・アメリカによる「アベンジャーズ・アッセンブル」のセリフが小声で言われるところに象徴されるように、あえての「はずし」や「ずらし」もところどころで感じられる(『インフィニティ・ウォー』の時点で機能不全となった野生的なハルクがけっきょく復活しないままである、というところなど)。

 中盤におけるタイムトラベルでは、MCU作品のなかでも評判の悪い『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』を取り上げたり『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のエレベーターのシーンのセルフパロディを描いたりと、とりわけファンサービス的な要素が強くなっている(というか、タイムトラベルの設定自体がファンサービスのために逆算されているフシがある)。事前にMCU作品を一挙に見返していて細かい設定やセリフまで覚えている観客であればあるほど楽しめる仕様となっているが、ここが単独の作品としての完成度を下げているところも否めない。

 クライマックスの後の葬儀のシーンや「ダンス」のシーン、『アベンジャーズ』からの初期メンバーに格別な待遇を与えるスタッフロールなどが感慨深いことも言うまでもない。この感慨深さも、やはり、観客がどれだけMCU作品にコミットしてきたかどうかに左右されるものではある。わたしとしてはポピュラーカルチャーやオタク文化における「ファン」「信者」「マニア」「推し」などなどの熱狂性が全般的に嫌いではあるし、特定の作品や特定のシリーズに対して過剰に時間や金銭を投入することを是としていない。しかし、MCUはエンタメ映画としてのクオリティのレベルが一定以上に保たれている作品が大多数なうえに、その年のベスト映画になるくらいに特筆してレベルの高い作品もちらほら存在する、という稀有なシリーズであるために、ついつい一挙に視聴して楽しんでしまった(ディズニー・デラックスの一ヶ月の無料期間のうちにMCU全作品を観ておいて料金が発生するまえに解約してしまおう、というのが主な動機でもあったのだけれど…)。