THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』

 

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン (字幕版)

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン (字幕版)

  • 発売日: 2015/09/11
  • メディア: Prime Video
 

 

アベンジャーズ』シリーズでは、一作目と『インフィニティ・ウォー』とに挟まれているこの作品がもっとも世評が低いだろう。確かに一作目のような新鮮さもなければ『インフィニ・ウォー』の衝撃もなく、どうにも前作の焼き直しという感じは否めない。すでにアベンジャーズが設立していて、また本格的な瓦解は起きていない段階なので、ウルトロンやヴィジョンの作成に関するちょっとした仲間割れがあるくらいであまり劇的な人間ドラマはない。終盤においてピエトロ=クイックシルバーアーロン・テイラー=ジョンソン)の死亡というドラマはあるものの、この映画で初めて登場して仲間になるのも後半なキャラクターであるから、いかにも「死なせるために登場させた」という感じになっており感動することは難しい。そもそもピエトロとの間にドラマができているのは、ワンダ=スカーレット・ウィッチ(エリザベス・オルセン)とホークアイジェレミー・レナー)の二人だけで、アベンジャーズの一員とはいえない外部の存在である。

 また、この映画は冒頭において悪の組織の秘密基地をアベンジャーズが襲撃するシーンを除けば、戦闘シーンは常に「アベンジャーズvs機械軍団」である。機械軍団はリーダーであるウルトロンを除けばみんな文字通り「量産型」でありみんな同じ外見をしているため、前作においてニューヨークを闇の軍団が襲撃する場面以上に三國無双感が付きまとう。つまり、同じ見た目の雑魚敵がワラワラと無限に湧き続けて、それを主人公たちが延々と蹴散らし続ける、ということだ。戦闘の舞台は中盤までは二転三転するが、終盤ではソコヴィアという架空の国家における戦闘が数十分にわたって続いてしまうため、せっかくのクライマックスなのにアクションに対して飽き過ぎてしまい集中力を保つことが難しくなる。この映画に対する悪印象の大部分は、この「ダラダラと変わり映えのしない展開がずっと続く」ことに由来しているだろう。

 ただし、欠点ばかりということはなく、何度か見返しても楽しめるスルメ的な良さを持った映画ではある。というのも、キャラクター描写という点では、前作以上に良くなっている面があるからだ。

 まず、敵役であるウルトロン(ジェームズ・スペイダー)は「平和のために人類を抹殺する」ことを選択したAIという冗談みたいなキャラクター設定であるが、製作者であるトニー・スターク=アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)の人格を受け継いだかのような傲慢で自信家でジョーク好きな性格をしており、やっている悪行がエゲツないわりに憎めないところもある、なかなか絶妙なキャラクー性をしている。同じように傲慢な策略であるロキにはない戦闘力や野心を持っている代わりに、サノスのようなカリスマ性はないという感じだ。一作目のロキと同じようにハルクにボコボコにやられるシーンにはもはや定番的な面白さがあるし、トニーとの類似点を指摘されて激昂するシーンでは「父親」や「師匠」的な立場に立つことが多いヴィランたちのなかでは珍しい「子供」の立場にいるヴィランである彼のユニークさがうまく描写されている。

 また、一作目以降にもアベンジャーズとしてチームで活動する機会が何度かあったことを示すことで、仲間たちの間の人間関係が深まっており、前作以上にキャラクター同士のかけ合いが楽しめるようになっている。序盤における祝勝会での「ソーのハンマーを持ち上げられるかどうか?」などのシーンが象徴的だが、このような「日常パート」的な描写が楽しめるのは『アベンジャーズ』シリーズにおいてもこの作品だけだ。真面目過ぎるためにイジられたりウザがられたりするキャプテン・アメリカクリス・エヴァンス)は苦労人なリーダーというポジションを成立させられているし、ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)とブルース・バナー博士=ハルク(マーク・ラファロ)との恋愛関係もなかなかいい感じ描写がされている。

 特にブラック・ウィドウは、バナー博士とは恋愛関係でキャプテン・アメリカとは親友的な関係でホークアイとは師弟かつ擬似親子的な関係と、(紅一点であることが災いして)様々な関係性を一身に背負わせられている重要人物であることがわかる。ある意味ではアベンジャーズという集団のなかではキャプテン・アメリカやアイアンマン以上に中心的な存在であるし、だからこそ『エンドゲーム』の例の展開が重みを持つのだ。なお、今作のブラック・ウィドウは囚われの身になったりハルクをアメとムチとでコントロールしたり祝勝会で盛り上がっている男たちに対して冷めた目線でコメントしたり他の面々が空を飛んでいるところをひとり車で駆けつけたりと、他のキャラクターたちとは一味違った活躍の仕方をするシーンが多い。

 前作には登場しなかったローズ大佐=ウォーマシン(ドン・チードル)も出番は少ないながらもコメディリリーフとして印象的な活躍をするし、ホークアイは家族が登場したりピエトロやワンダと交流を深めたりと描写に恵まれている。一方で、住んでいる世界が物理的に異なるソー(クリス・ヘムズワース)は貴重な戦力でありながらもアベンジャーズの仲間と人間関係を築いていなくて「外様」感が付きまとうなど、キャラ間の格差も感じられなくもない。

 ストーリー展開としては、『アイアンマン3』やのちの『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』に比べればずっとマシであるとはいえ、今回も「トニー・スタークの自業自得なマッチポンプ」という感じが否めない。他の作品に比べればトニーがウルトロンを製作するに至るまでの過程や動機には正当性があるし同情の余地もあるのだが、別の作品では同じトニーがよりしょうもない理由でヴィランを誕生させて世界の危機を招いているのを見ているものだから、「またお前のせいかよ」という思わざるを得ないのだ。ピエトロの死の取って付けた感と並んで、ここら辺のうんざり感が、この映画のメインストーリーに対して観客の気持ちを白けさせる要因となっている。

 総評としては、ストーリー展開や画面映えという点では他の『アベンジャーズ』作品に劣るが(それでも、そこら辺のエンタメ映画やアクション映画の平均点は優に超えている)、キャラクター描写だけを見れば充分以上に楽しめる作品、というところだ。