『アースクエイクバード』
舞台は1989年の東京。翻訳事務所で働いているイギリス人女性のルーシー・フライ(アリシア・ヴィキャンデル)は、東京湾で外国人女性が死体となって発見された事件についての事情聴取のために警察に連行される。そこでルーシーは、写真家の禎司(小林直己)と、死んだと思わしき友人のリリー(ライリー・キーオ)との三角関係を回想する…。
外国人監督が撮影した、日本を舞台にしていたり日本人が出ている映画に特有の問題点は、(日本人俳優のものにせよ外国人のものにせよ)微妙に日本語が不自然でぎこちなくなるというものだ。俳優たちの日本がいくら流暢であるとしても、最終的にシーンの権限を握る監督などが日本語の些細な自然さと不自然さとの違いがわかっていないので、ぎこちなくてもスルーされてしまうということである*1。この映画はかなりマシな方ではあるが、やはりぎこちなさは消えていない。
また、日本を舞台にしていると言いながら撮影地が韓国や中国であるために全く日本らしくなかったり頓珍漢な日本語看板ばかりが出てくることも外国映画の常であるが(最近だと『アベンジャーズ:エンドゲーム』でローニンがヤクザと戦っている場面がひどかった)、この映画はしっかり日本(東京と佐渡ヶ島)でロケされているので、その問題点は回避されている。
とはいえ、全体的にオリエンタリズムの感じられるつくりになっていることは否めない。主人公は精神の癒しを求めて日本に滞在しているようであるし、着物になったりお祭りに参加したりの「文化体験」描写が頻発するし、禎司の実家が老舗のそば屋であったり混浴の露天風呂に入ったりなどのいかにもな日本らしイメージが散りばめられている。
背が高くてセクシーで白人女性たちからモテモテでやたらとキザなセリフを吐ける(しかし付き合っている女性を蔑ろな扱いにするDV気質で、猟奇的な趣味があることも終盤で発覚する)禎司は、現在のICUとか慶應とかの帰国子女としてはかろうじて存在するかもしれないが、1980年代の純日本人でこんな奴がいてたまるかよという感じである。
この映画で面白いところは、主人公のルーシーは物静かで奥ゆかしいが言いたいことをはっきり言えずにそのために三角関係での嫉妬やモヤモヤで苦しむ、という実に「日本人女性」らしいキャラクターをしているところだ。ルーシーは日本語もかなり流暢であるし、彼女が和服を着るシーンなどは、単に彼女が日本に適応しているのではなくてもっと精神レベルで「日本化」や「東洋化」していることを表しているのだろう。一方で、ガイジンらしい積極性や明け透けさが特徴的なリリーは日本語を覚える気もほとんどないようであり、彼女は日本に来ても全く染まらない「西洋化」しきった存在であるのだ。
ただしまあ映画としては特にレベルの高いものではない。ストーリー展開は荒唐無稽なわりに予想が付きやすいものであるし、終盤で禎司の本性が明らかになるシーンもかなり陳腐だ。
しかし、アリシア・ヴィキャンデルはルーニー・マーラー系統のメンヘラ風味の漂うスレンダー美人で、この映画のヒロインとしてはピッタリだ。アリシアが和服を着たり日本語を喋ったり温泉に浸かったり原チャを運転したり嫉妬に狂ったりする姿に「萌える」ためだけに見るのもいいかもしれない。