THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

ひとこと感想:『ディア・ハンター』

 

ディア・ハンター (字幕版)

ディア・ハンター (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

 

 18歳だか19歳だかの学生時代に見たときにはえらく感想した思い出があるのだが、21歳くらいの時に再視聴したときは「初めて見た時に比べてなんだかつまらないな」と思った記憶もある。それから10年後の31歳の今回が三度目の視聴になるが、上映時間が三時間という長大さと前半の結婚式の場面のダラダラっぷりに耐えられなくなって、肝心のベトナム戦争や帰還後のシーンも流し見になってしまった。

 

「若い頃は芸術やフィクション作品に対する感性が優れていて、歳を経るにつれて磨耗していくものだ」とはよく言われるものだ。全ての種類の感性が磨耗するものだとは私は思っていなくて、歳を経てからの方がより楽しめたり深く理解できたりするようになる側面もあるとは思うが、その一方である種の感性は確実に磨耗していることも実感する。 

 すくなくともわたしは想像力や共感力は若い頃の方がずっと強くて、大半の文学作品や映画作品の登場人物たちに感情移入することができた。それに、若い頃は自分のキャリアプランやライフコースや住んでいく場所が不確定であり、自分は良くも悪くも上にも下にも何者にも成り得るという可能性の幅が広いために、どんな人物が出てくる物語であっても他人事じゃなくなるのだ。だからこそ、ベトナム戦争に行ったアメリカの若者たちの苦悩と狂気、というどう考えても自分の人生とは縁がない人たちの物語についても、どこかに自分と重ね合わせられるところを見出せていたのである。

 だが、年を経るにつれて可能性の幅は狭まっていくために、感情移入できる対象はどんどんと減っていく。登場人物に感情移入できなくても設定の妙味を楽しんだりストーリーテリングのうまさを楽しんだりするということはできるのだが、そういうものが見受けられない作品だとキツくなる。

 

 というわけで、ニューシネマを再視聴することは年々きつくなっている。ニューシネマの大半は脚本に無駄が多くて構成が練られていない作品であり、苦労したりつらい思いをしたりする登場人物への感情移入ができれば感動が得られるが、そうでないなら楽しむことがなかなかキツイのだ。厳密にはディア・ハンターアメリカン・ニューシネマというカテゴリには入らないかもしれないが(ちょっと時代が後なので)、作品の内容は明らかにニューシネマ的だ。

 とはいえ、水中の檻のシーンやロシアン・ルーレットや山林での鹿撃ち、ロバート・デ・ニーロのイケメンっぷりやクリストファー・ウォーケンの美青年っぷりやジョン・カザールの情けなさなど、いまでも印象に強く残る部分が多々ある作品なことは間違いない。

 

(ところで、他の人の感想を読んでいて、この映画では「同性愛」や「ロシア系」という要素が重要であることに初めて気付かされた。三度も見ているのに他人の指摘を見るまで気付かなかったというのも情けない話であるが、SNSなどで情報やヒントがすぐにまわってくる現代の作品と違って、昔の作品の背景にある情報は自分から調べに行かないと知る由もなかったりするものであるのだから、仕方がない。)