『20センチュリー・ウーマン』
1970年代のカリフォルニア州サンタバーバラを舞台に、シングルマザーのドロシー・フィールズ(アネット・ベニング)とその息子のジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)、フィールズ家に遊びに来て夜にはジェイミーの部屋に忍び込んで彼と語り合うことが好きなジュリー(エル・ファニング)、フィールズ家の下宿に間借りしている写真家で子宮頸がんと闘病しているアビー(グレタ・ガーウィグ)、同じく下宿人でヒッピーな大工のウィリアム(ビリー・クラダップ)…ドロシーとジェイミーの母子問題が中心となりながらも他の人物の人生についても描かれる、群像劇的な作品である。
田舎ではあるものの1970年代のカリフォルニアという舞台設定や、当時の高齢女性としては先進的な生き方をしているドロシーやパンクミュージックが好きなジェイミーやジュリーに芸術家肌のアビーやヒッピーなウィリアムなどの主要人物と、全体に"リベラル"な雰囲気が漂う映画であることは間違いない。ただし、ドロシーはパンクミュージックの価値が理解できなかったりヒッピーたちが罵倒したジミー・カーターの演説に感銘を受けたりと、当時の流行的な価値観からは既に取り残されているというところがポイントだ。
後半ではアビーがフェミニズム教育をジェイミーに施すシーンがあり、ジェイミーやウィリアムもそれに乗り気なのだがドロシーは嫌がるしジュリーは戸惑う……という風に、それぞれの事象に対する登場人物の価値観や距離感の差異を丁寧に描いているところが繊細さを感じられてよい。女性のオーガズムに関する聞きかじりの知識を披露したジェイミーが同年代の男子からいじめられてアビーも「外では適当に話を合わせておいた方がいいわよ」というシーンとか、いざジュリーとコトに及ぼうとしたジェイミーがジュリーに「けっきょくあんたも他の男たちと同じじゃない」と言われてしまうシーンなども、妙なリアリティがあって面白い。そもそも家庭内で男子にフェミニズム教育を施すことが本人にとっては不自然で不適応的、という問題がコミカルなかたちで描かれているのだ(ここら辺の描写には『BOYS 男の子はなぜ「男らしく」育つか』を思い出した)。
トーキング・ヘッズを中心に当時のバンドが多数登場するサウンドトラックもいいし、登場人物の服装も建物の内装も小物もいずれもカラフルさが強調された画面は見ていて楽しく飽きない。小柄でブロンドが映えるエル・ファニングと、大柄で赤く染めた髪が似合うグレタ・ガーウィグも、対比が効いていて絶妙な配役だ。
ただし、群像劇になっているがために、物語の主軸であるはずのドロシーとジェイミーの親子関係に関する描写はイマイチ印象に残らないものとなっている。「自立していて開明的だったはずの女性が時代の流れに取り残されてしまう」というドロシーのキャラクター描写は素晴らしいし、発言力と存在感の強い女性たちに振り回されてしまうジェイミー少年もひと昔前のラノベの主人公っぽくてよい感じなのだが、終盤においてこの二人がようやく他人を介せずに直接向き合って対話するシーンはなんだかありがちで凡庸なものに思えてしまったのだ。
とはいえ、魅力的な役者陣・色鮮やかな画面・心地よい音楽・他の映画にないような独特なエピソードと、各要素のいずれものレベルが高くて面白い映画であることは間違いないだろう。