『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
スピルバーグは一部の例外はあれど好きであるし、トム・ハンクスもレオナルド・ディカプリオも好きであるのだが、この作品はどうにも好きになれない。
好きになれないポイントはいくつかあって……まず、前半のフランク・アバグネイル(ディカプリオ)とその父親クリストファー・ウォーケンとのくだりが長過ぎる。いまは失われた両親の仲睦まじい関係や家族の温かさを詐欺師のディカプリオは追い求め続ける、という切なさがこの作品の根本であるのだが、序盤の描写が退屈だったせいでそこに感情移入する気が失われてしまったのだ。
また、2002年という時代性を考慮しても、ミソジニーが目に余る作品でもあるだろう。名ありの女性キャラクターは夫を捨てて金持ち弁護士に飛びつくフランクの母親ポーラ(ナタリー・バイ)か、医者に扮したフランクにエッチと結婚を迫るブレンダ(エイミー・アダムズ)くらいかしかいない。ブレンダも含めて、多くの女性キャラクターもフランクの(嘘の)職業や社会的地位と金になびいて体を差し出す、従属的で浅薄的な存在となっている。この作品にはフランクの世界観が反映させられており、女性が浅薄に描かれているのもフランク自身のミソジニーを忠実に再現した…とみなすことはできるだろうが、それにしたっていい気はしない。エイミー・アダムズが「アホ女」を演じさせられているのは気の毒だったし(『魔法にかけられて』のように、あまりに「アホ女」らしいツラや表情ができてしまう彼女自身のせいでもあるのだが)、後半でフランクがスチュワーデスに自分を囲ませることで警察の目を逃れるシーンは痛快さとか大胆さが強調される演出なだけにイヤさが増していた。
そして、「実話」をウリにした話にしてはあまりにもウソっぽい描写が多いところも気になる。多少のウソならいいのだが、経歴詐称の詳細から飛行機のトイレからの脱出シーンまで、「いくらなんでもそりゃないでしょ」というのが続くと「はあ?」となってしまうのだ。『タクシー運転手』もそうだったが、観客が白けるほどの大袈裟なウソやドラマチックな展開をするくらいなら、実話に頼らずに最初から堂々とフィクションを作ればいいのである。