THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『マスカレード・ホテル』+『検察側の罪人』

 

●『マスカレード・ホテル』

 

 

 予告がいかにもつまらなさそうなのでまったく観る気はなかったんだけれど、ネットフリックスに表示されたキムタクのドアップの顔に惹かれるものがあり、いざ観てみたら存外におもしろかった。

 木村拓哉が演じる刑事と長澤まさみ演じるホテルマンが、それぞれの職業に基づく経験や見識と倫理に基づいて客と接していき、どちらもそれぞれに長所と欠点がある……というバランスの取れた描き方は見事なもの。「刑事もの」と「お仕事もの」のミックスに成功しているのだ。ネットは労働者の権利ばかりが騒がれて「過剰なサービスの存在しない社会が理想だ」みたいなことばっかり言われるが、そんな風潮はどこ吹く風と言わんばかりに「お客様は神様です」というホテルマンとしての職業倫理を強調するのも堂々としていて好感が抱ける(迷惑客には裏でこっそり対処するという強かさが同時に描かれているところもいい)。

 キムタクは刑事になってもヤンキー気質で、長澤まさみに対しても「マンスプレイニング」的な態度を取りまくる。昨今の欧米映画だと一発でNG判定が出て総スカンを喰らい興行的に失敗しちゃうだろうけれど、でもそれがキムタクの魅力だし、2020年代になってもそんなキムタクの魅力をスクリーンに映せるというのは欧米映画に対比したところの日本映画の貴重な利点であって懐の深さだ。だって実際に刑事なんてみんな(女刑事ですら)マンスプレイニング的な態度とってくるだろうし、現場のたたき上げの人間なんてそんなものであって、それならそれをしっかり描くのがリアリティというものであるのだ。

 

 とはいえ、珍客や迷惑客たちが繰り広げる個々のエピソードはまったくリアリティがなく、過剰で書き割り的であって、さほどおもしろいものではない(俗情に阿るエンタメ小説家としての東野圭吾の悪いところが出ていると思う)。

 ミステリー部分の真相には意外性があるが、でも犯人の動機はしょうもないし「完璧主義」に根ざしているとされる交換殺人的なトリックや仕掛けがどう考えても逆効果でアホみたいなので白けるところもある。

 

●『検察側の罪人

 

 

 

 

『マスカレード・ホテル』でキムタクにハマったので、こちらも鑑賞。

 過剰に正義を追い求める主人公のキャラクター性は、独善性や横柄さに相変わらずのマンスプレ気質など、いずれも木村拓哉にばっちりとハマっている。そんな彼がはじめて自分で手を汚すときには慌ててしまい情けない姿を晒すところや、計画や策略にけっこう抜け目があってグダグダであるところなど、人間味も強く描かれているあたりにがバランス感覚がある。

 ただし、キムタクを前半では慕い後半では疑う後輩検事を演じる二宮和也はお世辞にもいい役者だとはいえないし、彼が出てくるシーンではだいたい白けてしまう。吉高由里子が演じる女性事務官のキャラクターもなんかアメリカ映画なら普通に成立するけど日本でやられると「こんな女がいてたまるか」となってしまう。松重豊が演じるブローカーがおっさんのくせに「あなたの物語の続きを見てみたいのですよ」とかなんとか漫画みたいなセリフを吐くところも小っ恥ずかしい。

 過去の殺人事件の容疑者・松倉に対する主人公の策略と、主人公の友人と右翼政治家や軍国主義がどうこうで「白骨街道」がああだこうだみたいな政治劇や政治メッセージの部分がまったく噛み合っていないあたり、映画としては明確に失敗していると判断できるだろう(世評が悪いのもこのためだ)。とはいえ、もともと日本映画に大それたことは期待していないし、「まあ原作だったらちゃんと描けていたんだろうな」と察せられるから別にいいと思う。

 後輩検事と女性事務官に追及されそうになったキムタクが事前に用意していたウソや反撃手段を持ち出していけしゃあしゃあとドヤ顔でやりかえすシーンがいちばんおもしろかった。