ひとこと感想:『アバウト・シュミット』、『トゥルー・グリット』、『クワイエット・プレイス』
梅雨のつらさと夏バテと仕事もちょっと忙しくなってきたこととで、映画を観るための集中力が枯渇するようになってきた。
●『アバウト・シュミット』
『ファミリー・ツリー』のアレクサンダー・ペインの監督作で、主演はジャック・ニコルソン。『ファミリー・ツリー』と同じく「妻に先立たれた男性」が主人公であり、その妻が生前に浮気していたというところも一緒だ。ただし、『ファミリー・ツリー』では「妻の浮気」が作中でかなり重要なテーマとなっており主人公の子どもたちも重要な登場人物となっていたが、『アバウト・シュミット』では「妻の浮気」はあくまで1エピソードに過ぎず、また主人公の娘は登場するもののさほどの重要人物ではなくて、主人公が妻の死をきっかけに人生について振り返るということがキモとなっている。『ファミリー・ツリー』でジョージ・クルーニー演じる主人公が中年であったのに対してこちらは死期の迫った老人である、という違いも大きいだろう。
妻の死や娘の結婚をきっかけに人生を振り返る……というだけならありがちだが、アフリカの少年に援助金を送るついでに自分について語った(しかし見栄による嘘や誇張が大量に混ざった)手紙を少年に送る、という設定がかなりいいスパイスとなっている。その少年は英語を読めず、読み聞かせされていたとしても主人公の自己正当化の混ざった自分語りには興味がないように思えるのだが、それでも最後に子供からの絵が届くシーン(と、その絵を目にしたときの主人公の表情)はややベタでありながらもかなり琴線に触れる演出となっている。
主人公が自分の思い出の地域を訪ねて旅に出て、生家がタイヤやになっていたり大学の食堂で現役学生たちに自分語りをする(おそらく鬱陶しがられている)シーンもいい。ネイティブ・アメリカンや歴史上の先人に対する敬意を感じるようになるシーンも、歳をとって人生を振り返るとそうなるんだろうな、というリアルさが感じられた。娘の結婚相手の家族の俗物っぽさとか、優しくしてくれた人妻につい性的行為をしてしまいそうになるシーンとか、ネガティブで嫌な場面もうまい感じで描かれていたように思える。
……ただし、個人的な事情のためにこの映画を配信で見始めてから見終わるまでに一週間くらいかかってしまい、まばらまばらに見ることになったので、本来なら得られていたはずの感動とか面白さとかが阻害されてしまった。勿体無いことだ。ちゃんと鑑賞することができていたら、「四つ星」以上の評価は間違いない作品であったと思うけれど。
●『トゥルー・グリット』
この映画は2010年の公開当時に劇場で観ていたのだが、コーエン兄弟の作品にしては珍しくピンとこなかったし、今回改めて観てもやはりピンとこなかった。というか、リメイク元であるジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』を『トゥルー・グリット』の公開前に観ていたのだが、それだってピンとこなかったのだ。
一見すると単純なストーリーでありながら、復讐の虚しさや善と悪に関わる問いなどの難しいテーマが描かれた作品であるようだ。わたしが観ているときにはテーマはつかみきれなかったが(もう少し集中して観れていれば違ったかもしれない)、たとえテーマを理解できていたとしても、あまりに一本調子で単調でスローペースなストーリーが気になるので、やはり面白いとは思えなかっただろう。ジェフ・ブリッジズやマット・デイモンやジョシュ・ブローリン、そして主演のヘイリー・スタインフェルドと、役者陣の演技は素晴らしいものだけれど。
コーエン兄弟の作品はどれもスローペースであったり単調であったりするものだが、独特の世界観や外連味に溢れるキャラクターや理不尽で不条理なイベントを表に出すことで、スローさが誤魔化されて気にならなくなるものだ。しかし、どちらかと言えば「王道」な西部劇をやっているこの作品では"コーエン兄弟らしさ"が 薄まっており、そのためにスローさが誤魔化しきれずに欠点として顔を出してしまっている気がする。それでも、一般に「西部劇」といってイメージされるものに比べるとだいぶ不条理で理不尽な場面も多いのだが。
●『クワイエット・プレイス』
2018年の公開当時にはアメリカで大ヒットして日本でもけっこう騒がれていた記憶があるのでちょっとは期待したのだが、思った以上に面白くなかった。ヒロインであり母親役であるエミリー・ブラントは魅力的であるし、父親役であるジョン・クラシンスキーもハリウッド俳優らしくない素朴さが感じられる人物でいい味を出していると思う。娘役のミリセント・シモンズはちょっと外見の個性が強いというか「眉毛くらいなんとかしろよ」とは思わされたが、実際に聾唖者なだけあって、「音を立てたら即死」なこの映画の世界設定にぴったりな演技ができていた。
しかし、ダメなタイプのモンスター映画にありがちな欠点があまりにも目立ちすぎて、看過できない。「モンスターがショボすぎる」「なんでこんなショボいモンスターに人類が絶滅の危機に追い込まれるほどやられちゃっているの?」「そんな弱点があるんだったらとっくのむかしに軍隊がなんとかしているだろう」という疑問点が次から次へと浮かぶのだ。それに、主人公たちの行動が不合理的で愚かすぎる。「音を立てたら即死」な世界で子作りするとか、バカじゃないかとしか言いようがない。この世界設定で出産とか赤ん坊の泣き声を危機の演出に使われても、興ざめしてしまうだけなのだ。冒頭で主人公たちの子供が一人死ぬところもちょっと擁護できないし(あんなおもちゃを持たせるな)、階段の釘を放置しているところにも「なんで?」と思うし。活躍したりしなかったりする補聴器の存在もご都合主義的だ。
モンスターの造形も、いろんなホラー映画で散々見たことがあるような個性皆無のものである。ぜんぜん怖くないし、禍々しくもない。もうちょっと聴力に特化した存在であることを強調したデザインにするべきであったと思う。
「音を立てたら即死」な世界であることを強調するために登場人物が手話で会話をするという表現は、画期的であったし英断であると思う(家事とかしながらPCで観ていると会話の内容がわからないのでストーリーを追えなくなる、というのはちょっと鬱陶しかったが、これはわたしの鑑賞方法が悪い)。しかし、この映画の評価点はほとんどそこにしかない。
よかったところ探しをするなら…穀物貯蔵庫に女の子が沈んでいくシーンは独特でよかったし、妻が怪物に殺されて絶望して立ち尽くす老人も出番がごくわずかな脇役でありながら印象的であったけれども…。本筋のホラー描写や世界設定をもう少しなんとかして、「ホラー映画だから」ということに甘えずに登場人物たちの行動をもっと合理的で共感可能なものにしていれば、ずっと良い作品になっていただろう。言うは易しであり、ホラー映画において登場人物が愚かでなく整合性のある脚本を作るというのは至難の業である、ということかもしれないが…。