THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『黒い司法』&『マ・レイニーのブラックボトム』&『42~世界を変えた男~』

theeigadiary.hatenablog.com

 

「白人に都合のいい物語」ばっかり見るのもよくないなと思って、もっとまじめに人種差別の問題に取り組んでいそうな映画をいくつか見た。

 しかし、差別の問題について"真剣に"とか"都合の良さを抜きに"取り組むことって、やはりそもそも映画としての面白さには相反する行為であるかもしれない。

 

 

 

 

 たとえば『黒い司法』はずっとまじめで重苦しいトーンでつまらなかった。似たような題材でも、『マーシャル:法廷を変えた男』のほうが社会性とエンタメ性を両立していてずっと面白い*1

 

www.netflix.com


『マ・レイニーのブラック・ボトム』に関しても、チャドウィック・ボーズマンの演技はすごいし最後まで観ることでこの映画のメッセージ性を理解することもできたが、まんま「戯曲」という感じで映画になり切れていないところがあって、戯曲や演劇が苦手な私としてはキツかった。それにやっぱりメッセージや台詞が直接的すぎるし、ちょっと押しつけがましい(戯曲なんだから仕方ないけど)。

 

 

 

 

『42~世界を変えた男~』は「立身出世もの」としての面白さがあるし、主人公だけでなくハリソン・フォードのキャラクターも魅力的で、主人公のチームメイトや周辺人物たちそれぞれの価値観や感情もそつなく描けてることから、楽しんで観れた(しかし「"能力"によって差別を打ち破って認められる」というこのストーリーはサンデルの批判するメリトクラシーそのものだし、逆説的にメリトクラシーの否定しきれなさを示しているといえるだろう)。そして、楽しんで観れるということは、主人公に共感できて映画で書かれている場所や時代に没頭できるということだ。だからこそ、特に後半になるにつれて、チャドウィック・ボーズマンが演じるジャッキー・ロビンソンが受けていた差別の悪辣さや当時の社会の汚さ、エゲつなさが印象に残り、「差別ってよくないな」と心底思えるようになる。……でもそれって、批評的にはずっと優れているはずの『マ・レイニーのブラックボトム』や『黒い司法』にはできなかったことだ。

 そして、たとえば学校の視聴覚教室で子どもや中高生に観せるときには、『グリーンブック』や『42~世界を変えた男~』のような作品のほうがずっと"教育的”効果があるだろう。その映画の主人公たちにも、映画のストーリー自体にも、魅力があるからだ。


 スティーブン・ピンカーが『暴力の人類史』で言及していたような「登場人物への共感を通じた、物語の道徳向上作用」を生じさせるためには、物語にはある程度の"素朴さ"が必要とされるかもしれない*2。批評性や社会性に優れ過ぎると、意識の高い人の「頭」を満足させることはできるかもしれないが、観客の「心」を動かす力はむしろ減退する、というジレンマがあるかもしれないのだ。そう考えると、創作者が批評家から叩かれることを恐れて『グリーンブック』や『ベスト・オブ・エネミーズ』のような”素朴"な物語を作ることに尻込みしてしまうような状況になってしまうことは、やはり危ういのである。