THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『シンドラーのリスト』

 

 

シンドラーのリスト(字幕版)

シンドラーのリスト(字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 名作であることは間違い無いのだが、『戦場のピアニスト』と同じく、長過ぎる。印象的なエピソードは多々あるのだが、逆に印象的でないというかホロコーストものや戦争ものとしては"よくある"エピソードも多いので、特に中盤は散漫になっていることは否めないだろう。

 

 とはいえ、主人公のシンドラーリーアム・ニーソン)の人間性の描写や、彼の相棒のシュターン(キングズレー)との関係性の描写はさすがのもの。また、開始から1時間ほど経って「さすがにダレてきたな」というあたりで、シンドラーの"ライバル"であり"悪役"であるアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)にスポットライトを当てることでメリハリを付ける、という構成もうまい。

 一部の人は「当初は俗物で性悪だったシンドラーが途中から聖人のようになっていて、その急な変遷に違和感を抱いた」という感想をもったようだが、シンドラーはプラグマティックであるがゆえに頭が柔らかく寛容で開明的、という描写が序盤からされているのだという風にわたしは解釈したので、そこも気にならなかった。

 ユダヤ人たちが史実通りに死ぬシーンはいくつもあるが、最も印象に残るのはゲートによって放免されたかと思ったら射殺されてしまう少年の死(または、本編中で唯一"色"が付いている、赤色のコートを着た少女の死)であることは間違い無いだろう。

 クライマックスにてシンドラーが自動車や金のバッジに触れながら「これを売ればあと10人、これを売ればあと2人救えたのに…」というシーンでは、不謹慎ながら効果的利他主義を連想してしまった(そういえば効果的利他主義の提唱者であるピーター・シンガーユダヤ系だ)。

 連絡ミスでシンドラーの工場に戻されるはずだったのがアウシュヴィッツに連れていかれて、そしてあわやガス室に…と思ったら普通のシャワーでした、というシーンはスリルがあるとはいえちょっと悪趣味さが勝っているとも思う。ここら辺は、深刻な歴史的事実を扱いつつ映画としてのエンタメ性や物語性も両立させることの難しさが出てしまっていると言えるだろう(わたしの回答は「最初から上映時間を2時間くらいに収めていたら、後半でいかにも映画っぽいスリルシーンを入れる必要もなくなったでしょ」というものだが)。

 本編が白黒であるのは、赤い服の少女の死や終盤における現代パートとの対比を映えさせる狙いが主であるのだろうが、ユダヤ人や裸になるシーンのエロティックさや異物感を消して悲惨さだけを描く、という効果もあると思う。ベッドシーンも何度かある作品であるがこれも白黒なだけにエロティックではなく、余計な感情を生じさせずに物語の本筋に集中させることに成功している。

 また、建前であるとしても実用的な技能があれば生き残り、「歴史と文学を教えられる」だけじゃ生き残るに足りない、という"選別"の残酷さはなかなかのものである。わたしの学生時代の友人に在日コリアンがいて、彼の家庭では「社会がどうなっても自分は生き残れるようになるために、高度な技能を身につけろ」という教えがあり、実際にその友人は医者になったりその弟は弁護士になったりしているのだが、マイノリティ・被差別者にとっては"技能"の有無が人生や生死を分けることがある、というのはどこの場所でもいつの時代にも通じる事象であるのだろう(だからこそ、特に技能を持たない自分は救われることもなくあの時代のドイツやポーランドにいたらい真っ先に死んでいた可能性が高かったわけであり、ゾクッとした)。ここら辺は、音楽という"役に立たない"技能を持つ主人公が生き残る物語である『戦場のピアニスト』とも対比になっていると思う。

 他には、トイレに隠れた少年が先客の子供たちから「出ていけ」と言われるシーン、シンドラーとアーモンとの「力」や「許し」をめぐる会話が印象的だった。

 

 とはいえ……この映画も例によって最初に見たのは10年ほど前の大学生であったときだが、当時から、「たしかに良い映画だけど、そこまで絶賛されるほどのものかな」という感想を抱いていた(たしか『戦場のピアニスト』の方により感動していた記憶がある)。

 たとえば、同じスピルバーグの映画なら『ブリッジ・オブ・スパイ』の方がキャラクター描写がさらに鮮やかで映画としてのメリハリも利いていて、ずっと感動できる。描かれている事実の重たさや深刻さのためにみんな映画作品としての評価が甘くなっているんじゃないの、という気はしないでもない。

 まあ、「ホロコーストものの映画といえばまずは『シンドラーのリスト』(次点が『戦場のピアニスト』か『ライフ・イズ・ビューティフル』?)」という定評があることは間違いないし、戦争ものやホロコーストものの映画が数多く作られた後の現代であるからこそこうやって文句や贅沢を言える、ということもたしかであるけれど…。

 

 

ひとこと感想:『心のカルテ』&『キングのメッセージ』

●『心のカルテ』

 

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 摂食障害(拒食症)の主人公(リリー・コリンズ)が、医師(キアヌ・リーヴス)の指導のもと、同じような問題を抱えている若者たちと集まった治療用の施設に行って、そこにいる男子(アレックス・シャープ)と恋愛的な関係になったり、父の再婚相手の義母(キャリー・プレストン)や同性愛者である実母(リリ・テイラー)との関係に悩んだりして……みたいなお話。

 現代は"To the Bone(骨になる)"であるが、邦題はもしかしたら『17歳のカルテ』あたりから取られているのかもしれない。設定もちょびっとだけ似ているような気がするし、主人公のいかにもハイティーンらしい"繊細"な感性を全面に出したナイーブな作劇だって良くも悪くも似ている……と思ってWikipediaを見てみると、主人公が20歳の大学生だったので驚いた。なんというか、あまりにも"繊細さ"や"ナイーブさ"一辺倒な作品なので、ティーンエイジャーたちの物語だと頭から決めてかかってしまっていたのだ。

 また、「なんらかの問題を抱えた若者同士が共同生活する特殊な施設」が舞台という点では『ショート・ターム』『ミスエデュケーション』を思い出した。そして、これらの作品を見たときと同じく、最早おっさんに差し掛かっているわたしはこういう作品を見ても「ご繊細でお可哀想なガキどものお悩みなんて知ったこちゃねえよ」「世界には戦争や貧困で苦しんでいる人がごまんといるんだよ先進国のガキが甘えんな」という気持ちが先立ってしまう(こんなことを言い出したらどんな映画も観ることができなくなってしまうけれど…)。

 これらの作品はどれも登場人物である若者たちの"繊細さ"や"苦悩"に寄り添い過ぎているきらいがあり、そもそも実際に同様の悩みを抱えている観客や同年代の観客(そして、それらの悩みを感じている人にシンパシーを抱いたり"アライ"になりたいと思っているタイプの観客)に向けて作られている感が強く、逆にそういう苦悩に縁遠かったりして"外側"にいる観客の気持ちを惹きつけたり感情移入をさせるような工夫はあまりされていないように思うのだ。たぶん、わたしのような観客はお呼びでないのだろう。それは結構だが、ならばこっちもdisるまでだ。特に面白い作品ではないことは確かなんだし。

 とはいえ、『心のカルテ』もキアヌ・リーブスが出ている場面(だけ)は良かった。さすがの貫禄やカリスマという感じである。

 

●『キングのメッセージ』

 

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 主人公を演じるチャドウィック・ボーズマンを目当てに見て、こういうタイプのスリラーもので主人公がアフリカ系であることが珍しいということもあり、そこは面白く見れた。悪役の歯医者を演じるルーク・エヴァンスの「悪落ちしたジョゼフ・ゴードン=レヴィット」みたいな風貌もいいし、アルフレッド・モリーナも小物っぽさと気持ち悪さを醸し出せていてよかった。

 しかし、映画としてはお世辞にも面白いとはいえない。ちょっと似たような作品として『ドライヴ』があるが、主人公のキャラクター設定や動機付けもシンプルながらしっかりしており印象的な場面も多かったあちらに比べて、『キングのメッセージ』は全てが薄らぼんやりしている。鎖を使ったアクションはちょっとだけ印象的ではあるがそこまで多用されるわけではないし、スリルの描写もいまいちだ。まあ典型的に凡庸で十把一絡げなスリラー作品、という感じ。

 

 

ひとこと感想:『オンリー・ザ・ブレイブ』

 

オンリー・ザ・ブレイブ(字幕版)

オンリー・ザ・ブレイブ(字幕版)

  • 発売日: 2018/10/19
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 悲劇の実話をベースにした作品なのだが、その実話の悲劇性に引っ張られて、作品としてはかなりつまらなくなってしまっている。

 ネタバレしちゃうと主人公(ジョシュ・ブローリン)を含む山火事消防士たちのチームのほぼ全員は消化作業中に焼死してしまい、新入りの若造(マイルズ・テラー)だけが生き残るというオチだ。

 このクライマックスは30分程度で終わり、わりとあっけない代わりに、映画は2時間以上あってかなり長い。なんでこんなに長くなるかというと、主人公や若造、そのほかの消防士たちの背景の事情を描くこと観客を消防士たちに感情移入させて、それによってオチによる観客のショックを大きくする……という構成であるからだ。しかし、この消防士の人間ドラマパートがまあとにかくダラダラしていてつまらないので「いい加減にせえよ」と思ってしまう。

 冒頭で炎が獣の形になり襲ってくるCGシーンからして「ん?」となったし、主人公とその妻との会話のつまらなさ、若造のあまりにもありきたりな背景事情の陳腐さ(これも実話に基づいているんだったら仕方がないかもしれないけど)、消防士が訓練中に行うホモソーシャルなジョークのしょうもなさ(まあアメリカのブルーカラーの白人男性連中のジョークなんてそんなもんだろうとは思うけどいくらリアルだからってつまんない内輪感を延々と描かれたらたまったものじゃない)、などなどでどんどん「この映画ダメなんじゃないか」という悪寒がつのっていく(バーベキューのあたりでその悪寒が頂点になった)。

 同じ内容でもエピソードを取捨選択して90分にまとめられていたらよっぽどマシな作品になっていたはずだ。『ボストン・ストロング:ダメな僕だから英雄になれた』を観たときにも思ったが、いくら悲劇の実話に基づいた作品であるからといって、なんの工夫もなく(あるいは、ダサくてセンスのない工夫しかせずに)実話をそのまま描かれても映画として面白くないし、肝心の実話の部分すら印象に残らなくなる(か、「つまんない映画見させられたな」という記憶とセットになって印象が悪くなる)のだ。

ひとこと感想:『スパングリッシュ:太陽の国から来たママのこと』&『シーラーズの9月』&『7500』

 

●『スパングリッシュ:太陽の国から来たママのこと』

 

 

スパングリッシュ (字幕版)

スパングリッシュ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 高校生の時に観て以来だから13年ぶりくらいの再視聴。さすがにストーリーの内容はほとんど忘れていた。

 夫のジョン(アダム・サンドラー)と妻のデボラ(ティア・レオーニ)のクラスキー夫妻の元にメキシコ人移民のフロール(パス・ベガ)が家政婦として働き始める。アメリカ人らしくエゴイズムが強くて見栄っ張りで虚飾に満ちたデボラは娘(サラ・スティール)との仲もうまくいっておらず、ジョンは繊細で優しくはあるがデボラの尻に敷かれているために家族をリードすることができない。そんな問題含みのクラスキー家であるが、デボラやその娘クリスティーナ(シェルビー・ブルース)との交流によって徐々に問題がほぐれていって(逆に問題が悪化するタイミングもあるけれど)……という感じのストーリー。

 2004年の作品であるが、2020年に見てみると「マジカル・ニグロ」(マジカル・ラティーノ?)とかオリエンタリズムとかのワードが頭にチラついて仕方がない。特に、終盤でジョンとフロールがキスをするシーンはなかなかグロテスクで、「クラスキー家にとって都合良すぎるお話でしょ」と思えて仕方がない。フロールがめちゃくちゃセクシーな体型をしており、服装も相まって屈むたびにおっぱいが強調されるのも、この設定だとなんだかイヤな気持ちにさせられる。移民のメイドに対する性的加害はよく問題視されるわけであって……。お話としても、まあまあポジティブではあるものの陳腐であることは間違いない。現代ではまず作られない作品であるだろう。

 また、最後にフロールが娘を白人家庭や白人たちの私立学校から引き剥がしてメキシコ系移民たちの集団に戻すところだけは民族アイデンティティの尊重をあーだこーだすることができていて、ここだけは現代のポリコレ規範から見てもOKとされるだろうが、(いちおう自身も"移民二世"である)わたしから言わせると、親のエゴイズムが感じられてたまったものじゃなかった。多文化主義とか反同化主義ってやっぱり良し悪しだな、と思う。

 

●『シーラーズの9月』

 

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戦場のピアニスト』を見たついでに同じくエイドリアン・ブロディ主演のユダヤ人ものである本作も見てみたが、まあつまらない。どっかで聞いたことのあるようは既視感しかないBGMも陳腐でキツい。

 序盤で、金持ちであるユダヤ人実業家の奥さん(サルマ・ハエック)に雇われていたイラン人家政婦が溜まっていた鬱憤を打ち明けるところだけは興味深かった。つい宗教的な部分にばかり注目がいってしまうイラン革命であるが、資本家階級に対する民衆の叛逆、というただしく階級闘争的な側面もあったわけだ(だからこそ、ユダヤ人がスケープゴートにされてひどい目に遭わされた、ということでもあるのだろうけれど)。

 

●『7500』

 

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 ジョセフ・ゴードン=レヴィットが主演ということで見始めたけど、びっくりするくらいに地味でつまらない。ショボいテロリストたちとションボリ顔の副機長が、延々とコクピット内でやりとりしたり駆け引きしたりたまに戦闘したり、というだけ。低予算の実験的作品ではあるんだろうけど、あまりに内容がショボ過ぎて、本来なら作品が醸し出したいのであろう緊張感を感じてあげる気にすらならなかった。

『レボリューショナリー・ロード:燃え尽きるまで』

 

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで (字幕版)
 

 

 サム・メンデス監督の作品は『007』シリーズ二作や『1917』*1は観ているが、それ以前の作品を見るのは、実はこれが初めてだ。

 話の内容としては、不満や焦りを抱えた夫婦がすれ違って喧嘩して破局しそうになって……という本来なら地味なもの。

 しかし、レオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットという二大スターが夫婦のそれぞれを演じていること、喧嘩の内容の壮絶さ、1950年代を完璧に再現したかのような衣装や内装の素晴らしさに贅沢な画面作り、そして脇役であるジョン(マイケル・シャノン)やシェップ(デヴィッド・ハーバー)の存在感……これらの要素のおかげで、なかなか満足感のある仕上がりになっている。

 

 夫であるディカプリオも現状への不満はないことはないが、なんだかんだで雇われの会社員の身に甘んじていることを悪くは思っておらず「これでいいかな」と思っているところを、女優としての夢を諦めて主婦に落ち着いてた妻が「私の代わりに野心を追求して」と要望しはじめて、夫が仕事を辞めて家族でパリに引っ越そうと言い出して夫も最初は乗り気であったが会社での出世の道が見えてくるとパリ行きや妻のことが鬱陶しくなりだして……という感じのストーリー。

 とはいえ、そもそも妻の野心や「こんな人生じゃ満足できないの」という不満に全く共感できないので、感情移入をすることはちょっと困難である。

 なにしろ1950年代というアメリカの経済がイケイケだった時代が舞台なだけあって、なにしろ夫婦が暮らしている家が広いし、夫妻の将来にはなんの不安もなく、妻だって主婦をやりながらも趣味とか素人俳優としての生き方を充実させるとかの生き方があっただろうに、と思ってしまう。

 もちろん、女性の自立があまり認められなくて結婚した専業主婦として生きていかざるを得ないという時代背景が重要であることは間違いなく、彼女が自ら堕胎しようとして死んでしまったというエンディングも含めて、当時のジェンダー規範とか女性に対する抑圧が生んだ悲劇……という側面があることは間違いないのだろう。ケイト・ウィンスレットは作中でずっと眉毛を釣り上げて辛そうな顔をしているし。しかし、その辛さの大半は、社会のせいではなくて自らのプライドの高さのせいだ。彼女が"足るを知る"人物であり、ほどほどの人生に満足できる人物であったら、そもそも悲劇は起こらない。

 不況の時代に孤独に生きていかざるを得ないわたしのような人間からすれば、あんなでっかい家に暮らせて子供もいっぱいいてこれからも好景気の元で人生を歩んでいけるはずだったのに贅沢言うなバカ、としか言いようがない。……まあ、以前にも書いたように、それを言い出したらほとんどの物語が成立しなくなってしまうし、とりわけアメリカ人の物語は成立しなくなってしまうのだけれど*2アメリカ人は顕示的消費や他人との比較に右往左往しながら身の丈に合わない野心とプライドだけを増幅させ続けて、いくら豊かになっても現状に満足することは決して許されず、常に心残りを抱きながら死んでいく……ということが運命付けられているのだ。そういう意味では『レボリューショナリー・ロード』はまさに典型的な「アメリカ人の物語」であり、共感できるかどうかとかエンタメとして面白いかどうかとは別のところで、象徴的で芸術的な価値があるのかもしれない。 

 夫婦のパリ行きの目標に最も同調するのが精神病患者であるジョンであるところや、野心を追えない凡人として主人公夫妻に羨望と憧れと嫉妬の入り混じった感情を抱くシェップの存在など、主人公夫妻の悩みを外側から相対化する脇役の描き方はかなり優れている。彼らがいなかったら、ワガママ奥さんと不誠実な旦那との夫婦喧嘩を延々見させられる単調でつまらない作品になっていたところだ。いかにもチョロくて浮気相手にちょうどよさそうなモーリーン(ゾーイ・カザン)もいいし、エンディングで夫妻のその後をヘレン夫人(キャシー・ベイツ)から聞かされて深く考え込むハワード氏(リチャード・イーストン)の姿も実に印象的である。

 また、夫妻には子供がいるのに、子供たちが物語上で全く存在感がないところ、夫婦喧嘩においても「子供を堕ろすか降ろさないか」ということについて喧嘩したり子供を作ったことへの後悔を吐露する場面はあっても子供に対する愛情が示される場面はほとんどないところは、なかなかエゲツない。夫と妻のどちらも、他人に対する思いやりや他人のために尽くすという発想が根本的に欠けているエゴイズムモンスターであることが示唆されている。

 とはいえ、これはあくまで"アメリカ人"にとっての象徴的物語であり、"現代人"全般にとっての象徴的物語にされたらたまったものではない。アメリカ人はまず自分と他人を比較することをやめるべきだし、デカい家や大量の家具を買うこと以外にも金の使い道があることを知るべきだし、ストア派の哲学とか仏教の人生観とか中庸の理念を学んで幸福というものは外的要因だけに左右されるものではなく考え方とか気の持ちよう次第であることを知るべきだ。アメリカ人のみんながそれをやりだしたらあの過剰消費主義な経済が滅んでしまうかもしれないが……だったら滅べばいいのである。どう考えてもイカれているんだから。

ひとこと感想:『リング』&『男はつらいよ:口笛を吹く寅次郎』&『アンセイン:狂気の真実』

 

●『リング』

 

 

リング

リング

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 わたしが小学生の頃に大流行りしたホラー映画で、貞子のあの格好もテレビ画面から出てくる例のシーンのパロディをテレビから漫画までいろんなメディアで見かけたものだ。

 大人になるまで怖いものが苦手だったわたしはこの作品を避けてきて、31歳になって初めて観た次第である。すると、予想以上に怖くなくてびっくりした。「成長したからホラー描写が大丈夫になった」とか「貞子というキャラクターがパロディの末に陳腐化したから怖くなくなった」とかではなくて、この作品自体がそもそもそんなにホラー映画じゃない。どちらかというと、SFの入ったミステリー・サスペンス作品に近いものだと言える。……とはいえ、ミステリーやサスペンスとして観ても、大して優れているようには思えないけれど(Wikipediaなどを見ると原作小説はもっとミステリー寄りであり、ホラー要素を強調するためにミステリー要素を削った結果どちらも中途半端なものになった、ということかもしれないが)。

 主役である松嶋菜々子の未成熟で甘ったるい声色はどうかと思うし、夫役の真田広之は逆に格好良過ぎてどうかと思う。最後に判明する、呪いの回避方法が「呪いのビデオをダビングして他人に見せる」という理由もよくわからない

 怖くなかったと書いたが、さすがに貞子がテレビ画面から出てくるシーンはちょっと怖かった。しかし明確な恐怖シーンはその一点のみであり、「じわじわと怖い」というところもない。まあそのぶん普通の映画としてそこそこに楽しめた感じである。ラストシーンのちょっとした「究極(でもないけど)の選択」な感じや罪悪感を漂わせるエンディング自体は悪くないと思う。

 そういえば、京極夏彦『妖怪馬鹿』という本で『リング』や『呪怨』のことを指しながら「幽霊が関係のない人を襲いまくる昨今の風潮はおかしい。幽霊は生前に恨みを持っていた人間を襲うものであって、縄張りに入った人間を関係なく襲うのは妖怪の仕事だ」と怒っていた。実際、『リング』を観ていてもなぜ貞子が呪いのビデオなんて生み出してあちこちの人に迷惑をかけるに至ったかはよくわからない。

 

●『男はつらいよ:口笛を吹く寅次郎』

 

 

男はつらいよ・口笛を吹く寅次郎 [DVD]

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  • 発売日: 2017/08/30
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男はつらいよ』シリーズを見るのはこれで4作目だが、寅さんの不快さが目立った『寅次郎夕焼け小焼け』『寅次郎相合い傘』に比べて、『口笛を吹く寅次郎』は寅さん(渥美清)があまり他人に迷惑をかけず、坊さんの真似事をすることで備中高梁のお寺の一家をちゃんと助けているところがいい。また、他の作品に比べてギャグが多めだし、それもしっかり笑える。寅さんが坊主の真似事をするというのは、実に『こち亀』的な展開だ。そんな寅さんと遭遇したさくら(倍賞千恵子)が「また悪いことしているんでしょ」と決めつけてかかって泣き出すシーンも笑えてしまう。

 ヒロインの竹下景子もしっかり美人だし、ラストシーンでの相手からの愛の告白を自分から冗談めかすことで避けてしまう寅さんはなかなか切ない。この場面での竹下景子の演技もさすがという感じだ。「もういい歳なんだしこんな美人に求婚されたんだから結婚すればいじゃん」と思うし、ここでそれを避ける寅さんの気持ちもよくわからないのだが、まあ結婚したらシリーズが終わってしまうので仕方がないのだろう。

 

●『アンセイン:狂気の真実』

 

 

アンセイン ~狂気の真実~ (字幕版)

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  • 発売日: 2018/09/26
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 ソダーバーグ監督で、全編iPhone7のカメラで撮影されたことがウリな作品。同じ手法で撮影された『ハイ・フライング・バード:目指せバスケの頂点』では違和感はなかったとはいえそもそもiPhone7のカメラで撮影する意義が感じられなかったが、タイトル通り「狂気」に関する物語である本作では、精神病棟に放り込まれた主人公の不安な心情を表すという点でなかなか効果的であったと思う。

 ストーリーは大したことがなく、同じくソダーバーグ監督作品でやや近い題材を扱った『サイド・エフェクト』が名作であったのに比べると、こちらは格段と質が劣る。しかし、ハズレの少ない安打製造機的な監督であるソダーバーグの本領が発揮されており、大したことがないわりにはなぜか興味が持続してフツーに"観れる"作品であることも確かだ。

 主人公が精神病持ちで舞台は精神病棟、となると主人公の幻覚オチを疑ってしまうところだし、実際に序盤は「主人公がおかしいのか周りがおかしいのかどっちかわからない」という雰囲気を匂わしてくる。主人公がたまたま訪れた精神病棟が異常な場所であったうえに、それとは別ルートの異常者である主人公のストーカー(ジョシュア・レナード)が精神病棟の職員として働くようになる、という設定の非現実さも、主人公側の狂気を匂わせてくるところだ。しかし、主人公の母親(エイミー・アーヴィング)などの外部の人間が関わるシーンが出てくることで徐々に「実際に周りが異常なんだ」ということが観客にも伝わるようになってくる、という構造がうまい。……うまいと言ってもそれが作品に説得力をもたせたり作品を名作にしたりしているわけではないのだが、少なくとも観客の興味を持続させる効果はある、ということだ。

 ただまあ、『サイド・エフェクト』にはすっきり痛快なエンディングという強みがあったのに比べて、『アンセイン:狂気の真実』もエンディングは少し捻って印象的なものにしてはいるのだが、特に作品の評価を上げさせるほどのものではない。まあ、ただ単純に、それなりのスリラー映画という以上でも以下でもない作品である。

『ラスト・クリスマス』

 

ラスト・クリスマス (字幕版)

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  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 2016年版の『ゴーストバスターズ』や『シンプル・フェイバー』ポール・フェイグ監督。丸っこい顔に弾けんばかりの笑顔にすぐに八の字になる眉が特徴なヒロインのケイトはエミリア・クラークが、そのロマンスの相手となる謎めいた男性のトムは『シンプル・フェイバー』にも出演していたヘンリ・ゴールディングが演じている。

 

 クリスマス・ムービーらしい、ポジティブでハッピーで甘ったるい代わりに内容の深さや完成度などを捨てた仕上がりとなっている。ぼーっと観ていたので、トムの正体は予測できず、彼の正体を知らされるシーンはちょっと驚いてしまったけれど。

 ケイトの家族は旧ユーゴスラビアからの亡命者であるが、そこが物語に深く関わってくるということもない。ケイトが勤めるクリスマスショップの店主(ミシェル・ヨー)やトムはアジア系であったり、ケイトの姉(リディア・レオナルド)が同性愛者であったりケイトの友人にも有色人種が多かったり、ブレクジットについて言及されたりバスのなかで移民に暴言を振るう排外主義者が出てきたりと、取って付けたような「多様性」推しがちょっとくだらない感じはするが、物語の展開を邪魔したり印象を上書きしたりするということもなくてまあ許せるという感じ。実際のロンドンが多様性に富んだ街であることは事実なのだろうし。また、『イエスタデイ』と同じく、イギリス英語を楽しめるところが新鮮だ。タイトル通り、Wham!の数々の楽曲も存在感を放っている。

 

 先述したようにあくまで「クリスマス・ムービー」なので、お話としては可もなく不可もなく、という感じ。

 ただし、自堕落で無責任で未成熟なケイトをトムが「普通って過大評価されすぎているよね、普通って難しいし人を苦しめる言葉だと思うよ、君は君らしくでいいんだよ」みたいなことを言ってケイトを甘やかす場面はどうかと思った。そういうセリフって、本邦では『世界に一つだけの花』を通過した後にいまではすっかり陳腐になって揶揄の対象になっているようなものだが、あちらの国ではまだ現役であるらしい。これでケイトが色々と"がんばっている"人間であるならいいのだが、仕事もいまいち真面目に行わず夢の追い方も中途半端でありセックスと酒に明け暮れていて親から完全に独立しているわけでもなく……という有様なので、いくらケイトがお人好しでポジティブで魅力的な人間であるからといって彼女を甘やかすのは違うだろう、と思った。せめてセックスと酒は止めろ。そのあとでケイトがトムへの依存を振り切ったりいままで迷惑をかけてきた人間に反省のクリスマスプレゼントを贈るシーンはあるのだが、なんだかなあ、と言う感じだ。

 そして、ダメダメな主人公が異性の他者から(厳密にはトムは"他者"ではなかったりするのだが)甘やかされ救われる、という展開も、イマドキの価値観では主人公が女性でなきゃ描くことができないものであるだろう。ダメダメな男性が異性に甘えることは依存だとか搾取だとか支配だとかとあーだこーだ言われて、男性視点のロマンスはロクに許されなくなっている時代であり、女性にはクリスマス・ムービーが贈られても男性には贈られないからだ。そう考えると、"アップデートされた価値観"ってずるいものだよなあ、と毒づきたくもなる。